ベルリンから帰って以来、お風呂読書は The Given Day, by Dennis Lehane
であります。「間者猫」さんのブログで見たような気がしたので、成田空港の本屋さん
で購入。いつも飛行機では眠れないので買ったのですが、あまりおもしろくなくて
ほとんど読まず・・・ ほとんど眠れず・・・
で、100ページくらいしか読まずに帰ってきて、それからはいまこれを手から離すと
1300円が無駄になると思って、多読の第三原則を無視してお風呂で読んでおり
ました。
すると、なんと250ページくらいからちょっとおもしろくなってきた・・・
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だから第三原則は守りにくいわけです。
でも、きょうはそういう話じゃなくって・・・
やっとどういう話か見えてきたのですが、ある白人とある黒人が主人公であるらしい。
(本当は「アイルランド系」と「アフリカ系」と書くのが 建前 (Politically
correct) なんですが、この本ではまさにそこが一つの主題らしい!)
アイルランド系の主人公はボストンで移民から成り上がった警察幹部の息子。
アフリカ系の主人公はその幹部の家で働く下働き。
で、その主人公(?)二人が初めて話をした直後に、アフリカ系の主人公 Luther に
その家のアイルランド系の小間使い Nora が話しかけます。「あんた Dannyと
仲良くなったのね?」 すると Luther は 「仲良いは言い過ぎだな」と答えて、
自分でこんな風に解説します。
“He’s different. Not sure I ever met a white man quite like him. Never met a white woman quite like you, though.”
“I’m not white, Luther. I’m Irish.”
“Yeah? What color they?”
She smiled. “Potato-grey.”
Luther laughed and pointed at himself.”Sandpaper-brown.
Pleased to meet you.”
Nora gave him a quick curtsy. “A pleasure, sir.”
で、これのどこが 多読 で、どこが ウンチク かというと・・・
肌の色や人種や、その区別や差別をわたしたちはこんな風に吸収していくのだな
というところが 多読 です。
「ako」さんはわたしのことを「ざしきわらし」と呼んで、わたしが大喜びをしたら、
なんで喜ぶのかわからないと言っていましたが、どの子がざしきわらしか、自分が
ざしきわらしかさえ判然としない・・・ そんなのが 多読 なのだろうと思います。
うーん、解説をはじめたのだから、解説としてまっとうすることにすれば、
この一段落だけで、1900年代はじめ第一次世界大戦中のアメリカでは
アイルランド系の市民と、アフリカ系の市民がどんな位置にあるか、
アイルランドと じゃがいも が何か関係があるらしいとか、
アフリカ系の市民が自分の肌の色を サンドペーパー と関係させて
冗談にしていた--なんていうことがちらりと心のどこかに吸い込まれるので
しょうね。そしてそういう ちらり が積もり積もって山となり、大きくて細かい理解に
つながる・・・
多読していると、なにかが体に貯まります。そしてそこへブレア首相が100年以上も
前のことでアイルランド国民に謝ったなどということが結びつく。ひょっとしたら
マイケル・ジャクソン関係の記事で上のことがちらっと呼応するかもしれません。
で、どこがウンチクかというと、やっぱりそういうささやかな拾い物を意識すること、
普通はささやかすぎて見逃すほど小さいものを、おお、ここにもあったとばかり
大切にティッシュ・ペーパーに包んで小箱に入れておく、そしてつい人に言わずに
いられない、なんていうのはウンチクでしょう。
ついでに・・・
ふだんわたしは「分厚い本はおもしろいはず」と言います。
分厚い本は原価が高いので、たくさん売れるとわかっている作家にしか書かせ
ないと思うのです。この本は700ページを超える本ですが、ようやくその持論に
叶う展開になってきました。
いやそれだけじゃなくて、随所に非常にうまい表現や深い洞察があって、
とばし読みがもったいなかったのですが、これまではとにかくすごい飛ばし方でした。
このあたりからはじっくり読もう・・・
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