まだ一つ、「町の名前を一つ」の翻訳で、メールをくださった方に掲載許可をお願い
している詩がありますが、突然起きた「英語で詩を書く」波もそろそろ落ち着いたようです。ありがとうございました!
今回のことは、あとから振り返って「あれが大きなきっかけだった」と言えるよう、
わたしの糧にしたいと考えています。
で、以下は半年ほど前の記憶から・・・
多読で英語を吸収したこどもは音についても意識的学習をした場合より素直に
吸収しているという例です。
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その子は小学校のころ読み聞かせから出発して、そのうち自分で本を読
むようになり、多聴を楽しむようになり、中学校にはいって意識的学習に
初めて触れることになりました。
で、ある日、おかあさんに
「ね、学校の先生は temperature を「テンペラチャー」って言うんだよ」
という意味の報告をしたそうです!?
temperature を「テンペラチャー」と読んで何がちがうのだろう? と思った人は、
わたし同様、学校英語に侵されているいっていいでしょうね。
学校英語に触れていなかった多読育ち(?)の子に temperature が
どう聞こえるのか、半年前のメモの元が1月18日に消えてしまったので、
わかりませんが、わたしが大変な苦労をして学校英語を抜け出した経過
では次のような発見がありました。
実際に使われている英語、とくにイギリス英語では強い音が残り、弱い音が
消える傾向が顕著なようです。その傾向がアメリカ英語よりも強いところは
おそらく大方の予想とは違っているのではないでしょうか?
おなじように「をさなご」の例を挙げれば、以前にも書いたことがありますが、
わたしのともだちのこどもが「セサミ・ストリート」を見ていて、
everybody を「エジバディ」と繰り返したそうです。一つ一つの文字の音を
習ってしまったおとなにはなかなかそうは言えないでしょうね。
ほかにもいろいろ例を挙げればいいのですけど、半年前のメモをなくしたので、
すぐには思い出せません。思い出したら、ここに継ぎ足していきます。
でも、一般的にはこういうことだろうと・・・
どうも英語は音節数の多いことを嫌う--あるいは避ける--傾向が、
ありそうです。
どんな語でも3音節を超えるともう「長い! やってらんない!!」となると、
わたしには思えます。そこで、英語では(ラテン語語源などの)長い単語や、
句や、文には
音節数短縮が頻繁に起きる
わけです。
(このあたりから日本語と英語の「音の仕組み」の違いに話は発展しますが、
それはまたいつか・・・)
ではさきほどの temperature は件の子にはどう聞こえたのか?
カタカナで表せば、おそらく「テンパチャ」と聞こえたのではないかと、
(日本語と英語の違いをきわめて意識的に研究してきた)わたしは考えます。
わたしたちは、temperature を テンプチャ とさらっと言えるでしょうか?
言えないとすると、そこに英語に日本語を介入させてきた学校英語の影響が
あります。たかぽんがいうように一律に学校英語は害があると言い切ったら問題があるでしょう。
毒も少量使うと薬になるそうだし、学校英語のごくごく小さな部分は毒ではなく
薬も混じっているかもしれません。わたしたちはおそらく顕微鏡で見分けるように、
学校英語のよい点を残し、害がある部分を切り離さなければならないのです。
それが面倒なら、まっさらからtadokuを試してみる手がありそうです。
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