朋あり遠方より来たる 亦楽しからずや

2011年11月13日
カテゴリ : 多読亭日乗

多読の最初の試みは立川高校で非常勤講師をしていたときでした--40年前。

大学の授業では一橋大学で、不発に終わった試みがありました--30年前。

今の形の、つまり多読三原則を利用して絵本からはじめる多読は10年前から。

一橋大学の時の教え子が facebook を使って連絡をくれました・・・

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リアナさんと夏時間とウンベルト・エーコ

2011年11月 9日
カテゴリ : 多読亭日乗

きょうは午前11時からリアナさんおしゃべり会のはずでした。

リアナさんは昼の12時ちょうどに現れました。
(というのはもちろんSkypeに現れたのです。リアナさんの住まいは北米!)

「夏時間はいつ終わりましたか?」とたずねると、「数週間前」とのこと。
先週はリアナさんおしゃべり会が中止になったので、
夏時間が終わって日本時間との差が1時間ずれたのでしょう。

(来週の時間は、

フォーラムの「みんなでおしゃべり」の「リアナさんおしゃべり会」

でお知らせします。ご注目を!)

で、きのうの夜わたしは iPhone Kindle にウンベルト・エーコの「プラハの墓地」を
ダウンロードしました。ウンベルト・エーコといえば、小説の処女作が「薔薇の名前」で、
2作目は「フーコーの振り子」。

この2作目がとってもおもしろい小説で、中世の秘密結社がローマ教会に弾圧されて
地下に潜って雌伏し、何十年後だったか、何百年後だったかのある日に、
再結集しようという誓いを立てる。

結束の固い秘密結社の末裔たちは本気でそんな長い歳月のあとに
会おうとします。ところがローマ教会は(秘密結社の再結集を阻止しようと
したわけではないのだけれど、グレゴリウス歴だかなんだか、暦を変えてしまい、
末裔たちは誓いの「ある日」がいつだかわからなくなる・・・

フーコーの振り子はパリにあります。
ながーいコードの先についた重い金属球がゆっくりと振れて、
地球は回っているのにフーコーの振り子はその影響を受けずに一定の軸沿いに
振れ続ける・・・

きょうのリアナさんとのすれ違いから、わたしの思いは地球規模へと
広がったのでした。

なお、エーコの「フーコーの振り子」はその陰謀の規模の大きさで
「ダ・ヴィンチ・コード」をしのぐかもしれません。

多読クラス卒業生からのメール

2011年11月 7日
カテゴリ : 多読, 多読的ライティング, 多読的翻訳
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急ぎ投稿します。

次のメールは電気通信大学でわたしの研究室の卒業生が送ってきた英文のメールです。

ずいぶん滑らかな文章なのでびっくりして、多読的ライティングの一つの見本として紹介します。

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The New Yorker 誌のブログから--再読について

2011年11月 6日
カテゴリ : 多読亭日乗

「再読した場合も語数に入れていいですか?」--多読相談のQ&Aでは
おそらく五指に入る質問だと思われますが、今回の話題はそちらではなく、
まったく読書としての再読、三読、四読・・・ の話です。

On Rereading という本が出たようで、この記事はその書評です。

http://www.newyorker.com/online/blogs/books/2011/11/are-rereadings-better-readings.html

読みやすくはないので、わたしのアンテナに訴えてきた部分・・・

* Nabokov という「ロリータ」で有名になった小説家は「本は背中で読まなければ意味ない」と言っているとか。背筋に電気が走るような本を読みなさいということのようです。

* Nabokovはまた読書とは繰り返し読むことだと言っているそうです。

* 結局わたしには繰り返し読むことの喜びや危険(こどもの時に読んだ本を大人になって読んだらつまらなかったとか、若い頃の自分が見えてしまうとか)は初めて読む時とおなじように思えました。

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10月のテーマ!

2011年10月31日
カテゴリ : 多読亭日乗

10月のコピー.jpg村のchi-chan画伯から10月のテーマが届きました。息せき切って研究室(もうわたしの研究室ではなく、借りているだけですが)にやってきて、きのうの夜遅くまでがんばったんだから、できるだけ早くアップして!とのお達しです。
例によって、お腹周りの豊かなわたしと、思い切りハロウィーンの格好をしたchi-chanです。大きな画像で見ると迫力ですよ!chi-chan、ありがとう!!

The New Yoker誌のブログ The Book Bench から 若気の至り・・・?

2011年10月22日
カテゴリ : 多読亭日乗

過去というのはどういうものなのか?

・・・

吹く風は年をとっても
僕等には
人が年をとることが
わからない

わたしの友人が大学生の時に書いた「伝説」という詩の最後の一節です。

(なんとなく、初めて読んだときからこの一節はずっと忘れないだろうと
   思いましたが、本当に忘れることはなく、折に触れ思い出していました。)

けれどもさすがにわたしはこの歳になって、「歳をとる」ということが少しはわかって
きたような気がします。

たとえば、

http://www.newyorker.com/online/blogs/books/2011/10/worst-college-essays-1989.html

この記事は記事の筆者が、世界の思想界(?)を席巻したフランスの思想家たちに
「かぶれていた」大学時代(1980年代)を振り返った記事ですが・・・

同じようなことはわたしの大学時代にもありました。
・・・と振り返ることができます、今は。

それは全共闘運動というもので、大学や高校が若者によって閉鎖に追い込まれた
ほどすさまじいものでした。わたしは全共闘運動にも、全共闘と対立していたという
全学連(共産党より?)にも、「体制側」にもつかず、ただなんとなく・・・の生活をして
いましたね。若気の至りとはほど遠かった。

(デモには参加したことがなくて、一度見に行っただけ。
なんと都心のデモだったのに出身高校の後輩の女の子に見つかって、
「酒井さん、見学連ですか?」と声をかけられ、なぜか恥ずかしかった
たのを覚えています。)

もっとも、その後わたしより左にいた人たちがみんなわたしより右に行ってしまって、
ついには大学の教授会での発言から「酒井さんは全共闘だったらしい」と
噂されるようになりました。

(もちろん当時の「ラディカルさ」をそのまま内に秘めて、静かに激しいことを
やっている友だちもいます。)

過去には全共闘運動にも、脱構築の嵐にも参加しなかったわたしですが、
上の引用の最後にあるように、考え方はかなり全共闘運動の影響を受けて
今があるような気がします。

For us undergraduate Derrideans, the writing had the effect of waking us up, putting us on edge. Later, we rediscovered the virtue of a simple sentence, but we were never again as we were.

ただし、わたしは全共闘の自己否定にも、脱構築の難しい文章にも
信を置かなかったのですが。

ちょっとお休み・・・ PC修理中!

2011年10月16日
カテゴリ : 多読亭日乗

またですか! という声が聞こえます。またです。

今回はもう何週間も前からの故障で、しばらく前から電源か、電源からCPUまでの
コンデンサーではないかと疑っていましたが、今朝ついに電源ボックスを開けると、
見事コンデンサーのパンクを発見!

うれしかったなあ・・・

こういうことがあるから、ドシロートなのに自作がやめられない。
先日もクプクプさんに注意されたのですが、つくづくわかっていない人間が
こんなことに手を出すなんて、とは思うものの、うまく動いたときは格別・・・

そうです。夕方新しい電源を買ってきて、時間はかかりましたがなんとか
動くようになりました。

で、次なる問題はどうも音が大きいのです。
とても長い間の作業はできないくらい。
どこがどうなっているのか? おお、この甘き悩み・・・