あらためて お誘い

2012年7月26日
カテゴリ : みんなの集まり
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第1回多読セミナーの参加申し込みは現在英語の先生(支援する人)がもっとも
多く40人、日本語の先生と英語の多読仲間が10人ずつとなっています。
わたしは30人ずつを考えていたのですが、日本語の先生と英語の多読仲間が
予想より少なくなっています。

「さかいさんはとにかくみなさんに説明が足りない!」と常々言われているので、
セミナーについてわたしの考えを書いて、「NPO多言語多読」のめざす方向を
もう一歩説明しようと思います。

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*「NPO多言語多読」の目的

これからも何度も書く事になると思いますが、わたしが多読村を日本語多読
研究会と合体して「NPO多言語多読」にしたかった理由はただ一つ、
「多読を深めたい、広めたい」ということでした。

その目的のために、わたしはたくさんの構想を抱えています。
あまりにたくさんの構想があるので、わたし一人ではとても深めることも、
広めることもできないほどです。

そこで、「NPO多言語多読」として、公の団体にして、そこに全国のみなさんの
経験と知恵と知識を寄せていただいて、構想を実現したいと考えたわけです。

構想の中身は山ほどありますが、セミナー参加者の数と関係があるのは、次の点です。

* 多読・tadoku には、先生/生徒の区別はない!

わたしは多読がはじまってまもなく、SSSの掲示板を通じて
「多読には先生/生徒の区別はない」と思いました。
1日早く多読を始めた人は1日遅く始めた人に何か助言することができる。
時には1年遅く始めた人が、1年早く始めた人に「この本おもしろいですよ」と
助言することができる。

けれどもこれはなかなか分かりにくいことだと思います。
何かを身につけようとするときには、先に身につけた人と、
後から始めた人の差は絶対的である、という考え方はわたしたちの身に染み
ついたものでしょう。何かを身につけるには先生の教えに従って進んで、
最終的には試験の点数や資格試験で成果を測る。

多読が「学習法」ではない所以(ゆえん)は決まったレールがないことです。
同じレールの上を、同じ目標をめざして、できるだけ早く到達する、というのが
これまで言われてきた「学習」だとすると、多読は最初から一人一人が別々の
本を読み、別々のルートをたどってそれぞれの読書に到達します。
ルートはそれぞれさまざま、ペースも決まったものはない、
目的地も気分次第で途中変更もちっとも構わない・・・ 
したがって、「先生/生徒」という区別は成立しにくいわけです。

せっかく一つだけのテーマに絞ろうとしたのだから、ここからきょうの結論へ・・・

* いつの日か、みんなが仲間で、みんなが「先生」の大会へ!

セミナーという名前と8月4日当日のプログラムから、
一般の多読仲間のみなさんには「自分からは遠い集まり」と思われたかもしれ
ません。わたしの説明も Too little, too late. でしたね。

今後「NPO多言語多読」は上に書いた目的に向かって少しずつ活動していきます。
活動を通して、「多読/tadokuには、先生と生徒の区別はない」ということが次第に
わかりやすくなっていくと期待しています。

そうしていつか、英語も、日本語も、中国語も、スペイン語も、シンハラ語も、
大人も子どももみんなただの仲間として、外国語の楽しみ、言葉の愉しみを
語り合う・・・ :rainbow:

そういう未来の姿の一端をすぐにでも覗いてみたいという人はぜひ参加してください。 :applause:
あらためて、呼びかけます!