この話題のカテゴリーを「多言語」としたのはどうしてでしょうね?
実はわたしにもよくわからないのですが、英語によるコミュニケーションではなくて、「多言語」によるコミュニケーションと考えたいのです。
理由はいつかはっきりしてくるのではないだろうか?
*******************************
きょうの「蘊蓄オフ」も盛り上がって、楽しい語らいの3時間、そのあとに誰言うとなく忘年会風の乗りで居酒屋へ・・・ そこでまた3時間強・・・
どちらにも参加してくれた「グリーン」さんがしばらく前にくださったメールを紹介します。(ブログの記事にするのに、だいぶオクレが出ております。あしたで校正も終わり、本当に大学外の仕事納めになります。メールをくださった方々、もう少々お待ちを!)
近所の谷中は毎週ウロウロしていますが、そこに澤の屋という旅館があります。見た目はどうということない旅館なのですが、知る人ぞ知る有名旅館で、何がかというと、外国人比率が80-90%という旅館なのです。廃業の危機感から外国人を受け入れることになり、英語もできなければ外国人なぞ絶対に無理だとおもっていたご主人が、子供の英語の教科書を見ながらはじめたそうです。異文化間コミュニケーションなどとえらそーなことではなく、人と人とがコミュニケーションをとるということ、違う文化を認めること、わかろうとすることはこういうことなんだろうと思わせてくれます。なんだか初心に戻る気がするサイトです。もしよければ覗いてください。
http://www.tctv.ne.jp/members/sawanoya/
では、日曜日に。
ぼくも行ってみました。あ、現地にではなくて、澤之屋のサイトに。
それで、グリーンさんのいうことがよくわかりました。写真に写っている人たちの屈託のないこと! なんともいえない信頼感が溢れています。行きずりの、たった数日のつきあいなのだろうけれど、「異文化間コミュニケーション」なんていう言葉が遠くの、はるか頭の上のもので、なーんの意味も持たないつきあいがあるようです。
で、わたしは35年くらい前に、これとそっくりの雰囲気の宿に泊まったことを思い出しました。京都でした。予約していった宿では外国人二人とわたしは玄関先で断られましたが、そこからやっとのことで探した宿はごく気の置けない、いろいろな国の貧乏旅行の外国人が泊まっているようでした。部屋と部屋の境も定かではなかった。でもなぜか落ち着けたのですね。考えてみれば不思議だ。
その後、20年くらいして、ロンドンで中学生3人とひどくみすぼらしい民宿に泊まりましたが、あれはまちがいだった。客の中には麻薬中毒者もいたのではないかというひどい宿で、わたしの判断まちがいでしたね。
いや、グリーンさんはそういう話の糸口を提供してくれたのではないのです。
どうぞみなさん、下谷にあるというその宿の雰囲気をのぞいて、
多読の先のもう一歩を踏み出してください!
最近のコメント