さて、わたしが多読を「壊す」あるいは「見直す」必要があると考えはじめたのは、
当初「マクマーン」さんのいうように「道しるべ」に過ぎなかった語数記録が、
次第にレールのように認識されるようになり、そこからはずれてはいけないもののように
受け取られていると感じたからでした。
語数記録とおなじくらい「目安のレール化」を推進する危険のあるものに「YL;読みやすさレベル」があります。
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YLのはじまりに関わった一人としては(語数記録とおなじくらいに内心忸怩たるものがありますが)YLの数字もかなり危険なものだと考えています。
実はその危険はYL誕生のときから意識していました。現在SSSのYL表示は「1.5−2.5」のように1.0の幅をとったものが多いと思いますが、その幅を提案したのはわたしでした。
みなさんの書評の平均をとってきっちりした数字一つにしてしまうと、さまざまな具合の悪いことが起きてくると思われたからでした。そこで、わたしは数字ではない表現方法をいくつか提案しましたが、レベルを「ぼかして表現する」ことの大切さはなかなか伝わりにくくて、SSS英語学習法研究会では今の形を選んだのでした。
最近になって、わたしの危惧は次第に現実のものになってきているような気がします。それは語数記録や100万語という数字が一人歩きをはじめたのと軌を一にしているようです。数字に一人歩きをさせてはいけません。とくにいまのYLは0.1まで刻んでいるので、「権威」がついてしまいます。平均だということを忘れて、自分の外にある基準で動かせないもの間違えやすいと思われます。
とはいうものの、わたしも当初YLに賛成したように、本選びの目安としては有効な面もあります。YLの数字と、みなさんの評判を頼りに本を選んでいる人は多いはずです。YLは立派に役目を果たせるのです。
とくについ最近までは多読をはじめる人たちの「変人度」が高く、YLに振り回されることが少なかったと思います。そもそもYLなんて決まっていない本がほとんどで、初期からつい最近までの書評は新しい本の開拓ばかりで、他の人の評価など気にしようにも存在しない中でYLを提案していたのでした。
すべては多読の普及とともに意味が変わってしまったようです。
昔(1、2年前まで)は単なる目安だった語数記録が多読の義務のようになり、読む順番をYLに従う人が出てきました。
もう一度、YLからその権威をはぎとって、なにか新しい、いい加減な目安を(「パッチ」さんは掲示板で、電通大初期の「虹の七色レベル」をいい加減なものと喝破しています。その通りです)作る時期なのかもしれません。
ま、新しい目安の誕生ははるかに先のこと、あるいは今からではYLを捨てることはできないのかもしれません。けれども、ここらで一度YLの果たしてきた役割を、みなさん自身の多読体験を振り返って、語っていただけないでしょうか?
その上で、数日後には、将来可能な、あるいは、あり得ないけど楽しい、「目安」を考えましょう。
まずは「わたしとYL」をメールで教えてください。
それから掲示板で、新しい目安を募集します。
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