昨日書いた韓国からの留学生が英語の多読を楽しんでいる報告は、意外な部分が関心を引いたようです。
その中でおーたむさんのメールは、実はわたしたちが抱えている「英語コンプレックス(英語に対する複雑なこだわり)」を指摘していて、そうそう!と思いました。
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酒井先生ブログ見ました。
よく考えてみると、日本語や韓国語でも知らない単語は結構あるが、
本を理解するのに困らない。
英語の場合、なぜか一文一文をしっかり理解しようと構えてしまうが、を読んで韓国の人にとっては、日本語も英語も外国語だろうに印象
違うんだということが新鮮でした。
英語に構えてしまうというのは、子供のころから習っているから
なんでしょうか?こんなに長くやっているのだからという気持ちが
多少なりとも芽生えてしまうとか?
また別の国の人だったり、同じ人でも言語によっては違うのかも
しれないけど面白いなーと思いました。
では。
つまり、韓国の人の中にも日本人の多くと同じように英語には複雑な思いがあるのかもしれませんね。
翻訳家の山岡さんから聞いた話です。
山岡さんが日本人のチームと一緒にアフリカのある国で仕事をしていたときのこと、みんな英語は話せないので最後まで山岡さんに頼って通訳をしてもらっていたそうですが、週末近くの街に飲みに出かけているうちに、数ヶ月でフランス語はなんとか使えるようになったそうです。
山岡さんはおーたむさんとおなじことを言っていました。わたしたちは学校でたたきこまれた「まちがっちゃいけない」コンプレックスのために、英語に対してはほかの言葉とはちがう硬直した姿勢になってしまうのかもしれません。
そして、その点では韓国も似ているのかもしれません。
多読は、そしてこども式は、わたしたちをそうした妙なこだわりから解放してくれるのかもしれまえん・・・
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