トオルさんに続いてchocoponさんも「こども」について

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SSSの掲示板に投稿しているchocoponさんによるこどもさんの観察です。「こども式」はできれば全身を使いたいというCheeksさんの提案がありましたが、同じ主旨と見えます・・・ (こうして「こども」の実態が判明していって、「おとな」が「こども式」をまねするのだ!?)
質問も寄せてくださっているので、感想をはさみつつお答えしています。

はじめまして。chocoponと申します。多読歴はおよそ三年ですが、一時中断して他の言語を勉強していた時期もあり、本当に集中的に多読に励んでいたのは一年半ぐらいです。ただ、生活の必要上、ほとんど毎日必ず何らかの英語の文章は読んでいます。「子ども式」について、質問があるのですが、新しい言語を勉強し始める場合、「多読」が先になるのでしょうか、「多聴」が先になるのでしょうか、それとも同時並行で行うべきなのでしょうか。日本で大人が英語を学び始める場合は、既に中学、高校で習った蓄積があるので、同時もしくは「多読」から始めるということも可能だと思います。

音声素材が手に入りやすくなって、再生機器も安くなってきて、やっと同時にはじめることが可能になってきましたね。Oxford Reading TreeもLongman Lieracy Landもなくて、「中学1年修了程度から多読をはじめましょう」なんていっていたのがまるで嘘のようです。「快読100万語 ペーパーバックへの道」以来まもなく5年、いまはおとなもゼロからはじめられるようになっただけでなく、音声つきでゼロからはじめられるようになってきた! (映像つきも可能! でも、これについてはちょっと待っててください。)

現在7歳になる娘がアメリカで文字通り「子ども式」によって英語を習得していく過程を思い出すと、年齢が幼かったということもあるのですが、まずは徹底的な「多聴」から入って行きました。それにただ「 多聴」と言っても、実際は聴覚だけでなく、視覚、触覚、味覚など体の感覚全てを動員して言葉を身につけていった気がします。4歳で日本からアメリカの幼稚園に転園した娘が最初に覚えた単語は「paper」だったのですが、それはおそらく毎日先生から子どもたちが紙をもらったり、配ったりするやりとりを見ていておぼえたのだと思います。

ここがCheeksさんの投稿と同趣旨ですね。

2番目の単語は「pumpkin」だったのですが、子どもの発音を片仮名で表すと「ポンケン」と言う感じが新鮮で、今でもその時のことをよく覚えています。丁度ハロウィンのころで、幼稚園でJack-o’-lanternの歌を歌ったり、踊ったり、カボチャをく?いたり、種を食べたりということで、その単語が身についた感じでした。

カボチャのパイのことを昔の人は「ポンキンパイ」と読んでいたようです。「ポンケン」のほうがもっと近いかも。

(こどもが単語レベルではなく、きちんとした文章を話し始めたのは、アメリカに来てからおよそ一年後のことで、「子どもは言葉を覚えるのが早い」と世間で言われているものの、それでもやはり言葉が自由に出るようになるまで1年ぐらいはかかるのだなあと少し驚きました。勿論子どもの性格や年齢などで習得にかかる時間はかなり個人差があるのでしょうが)

それほど大きな差ではないだろうと思いますが、どの程度を大きいというのかにもよりますね。20年前にイギリスのケンブリッジ大学で流布していた噂では、ある哲学の先生の息子がなかなか言葉をしゃべらなくて、5歳か6歳になってはじめてしゃべった言葉が Dad, your philosophical journal has come in the mail.といったとか。それとは別の話ですが、わたしが現在夢見ていることは、「幼いこどもほど言葉を使えるようになるまで時間がかかる。もしおとながこども式をそのままやれたらおそらく1年前後で日常のことは英語でできるようになる」という途方もないことです。単なる誇大妄想かもしれませんが、わたしとしては「虹が地面に着く地点にどこまで近づけるか」という冒険のようにわくわくしています。

「多聴」には向かないかもしれませんが、例えば英語でお料理やスポーツや手芸など何か既にある程度知っていることを習うと???うようなリスニングの勉強法もひょっとしたら有効なんじゃないかなと思います。ところで、「多読」をしている時に私は最近黙読の場合も頭の中で音読をしていることに気付いたのですが、途中、意味は分かっているけど発音が分からない単語に出会うと、それが気になって仕方がないので(意味も発音も分からない場合は結構簡単に無視してしまうのですが)そういう場合、どうすればいいのでしょう?長くなって申し訳ありません。

二つ試してみてください。一つは気にならなくなるまで無視し続けること。もう一つは多聴でその言葉にいつかかならず出くわすのだということを実感して、「いつかわかるのだからいいや」と思えるようになること。三番目の「危険が大きすぎてすすめたくない方法」は、辞書を引く、です。これはもし悪い影響が出そうだったらすぐにやめることを約束してください。まるで麻薬中毒かアルコール中毒のように、いったん引きはじめたらどんどん辞書に頼るようになったという報告もあります・・・ それではchocoponさん、またなにかあったら報告をお願いします!