「英語育児」はいかがなものか!

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悲惨な話です・・・ こどもたちが苦しんでいるようです・・・
一つの原因は多読かもしれません。
高校でもOxford Bookworms LibraryのStage 5くらいを年に10冊も全訳させるとか、
塾で「多読のために」暗記をさせるとか、こどもはなんでもすぐ覚えるというので、
まるでブロイラーのように英語を与える親もいるらしい・・・
(初出時のタイトルは「くたばれ! 英語育児」でしたがある人の忠告により変えました。)

酒井先生
先日お会いしましたマサミです。
お忙しい中お話をさせていただくことができ本当にうれしく思いました。ありがとうございました。
先日お話いたしました件に関してメールいたします。
この一年くらいでしょうか、少し困ったご質問に頭を悩ませています。そして子どもを取り巻く英語環境に大きな変化があるように思います。

この変化はうすうす感づいておりました。

  私の上の娘は現在9歳で小学校3年生をちょうど終えたところです。
娘に英語の絵本の読み聞かせたのは2歳を過ぎた頃ですから、7年以上前になります。そして現在娘はほぼネイティブの小学生と同じレベルの本を自分で読み進めることができ、会話も流暢ではないものの意思の疎通をはかる事ができます。

はい、そういうこどもはいますね。すでに少ないとは言えない数のそういうこどもを実際に見て、聞いて、話しています。

 しかし、私自身が娘に与えたかったのは決して『英語』ではありませんでした。私自身が英語の本を読みたいと思っていましたが、英語のベースがあるわけでもなく、時間も限られていたので、娘と一緒に読んでいこうと、幼児用の絵本から始めました。目的は『本が読みたい』であって『英語』ではありませんでした。そして娘に英語の絵本の中にある、文化や絵に親しんでもらいたかった。それがきっかけです。二歳以前は歌をたくさん歌いました。日本語であれ、英語であれ。これも英語を教えるためではなく、私が幼少の頃聞いたことのある英語の歌の歌詞を確認したかったのです。子どもの頃は完全に耳で覚えただけのものでしたから、もちろん文章にはなっていなかったので、歌詞を見ながらずいぶんたくさんの歌を歌いました。
そんな調子でただひたすら、せいぜい50冊くらいしかない英語の絵本を毎日、毎日子どもが好きなものを読み聞かせました。小学校に上がる頃には家にある絵本も100冊くらいになったように思います。その頃から娘に変化が現れ、2,3行の拾い読みをしたかと思ったら、あっという間にペーパーバックの児童書が読めるよ
うになってしまったのです。そして同じ頃、英語をぺらぺらとしゃべり始めました。

これもあちこちで聞いていることです。
つまりこどもには母語であれ、外国語であれ、そんな風に吸収する力が
生まれながらに備わっているらしい。

最近では200ページくらいの本を一気に読んでしまうようになったのですが、それを見た人や、ネットでその事をチラリと書いたことがきっかけで思わぬご質問をたくさんいただくことになりました。その質問はご想像がつくかと思いますが、『どうやったらそうなりますか?』というものです。

ここからです。わたしがマサミさんのメールをみなさんにも読んでもらおうと思ったのは・・・

困ってしまいます。なぜなら『うちの子供にはどんな本がいいですか』なら答えられるかもしれませんが、『英語を学習させるための本』であり、『英語を学習させるためにどうやって読ませたらいいか』であり『そのレベルに行き着くノウハウ』を知りたがっているからです。

世の中を次第に浸食しつつある「英語育児」というようなものは
実によくないですね。英語育児関係の流れはわたしのいう「不安産業」で、
「英語を身につけないとこどもの将来が大変なことになる」
などという不安を
植え付けて、教材を売ったり、雑誌や番組を売っているわけです。
 多読がその一端を担うのはなんとしても避けたいので、
いままで何例か知っている「バイリンガル・キッズ」のことは
言わないようにしてきました。

『英語』を学習させる気の無い私にとってお答えのしようがありませんし、またここ数年懸念していたことが現実に起こってきていると感じています。私の所に質問を寄せてくださる方々のお子さんは初心者ではありません。小さい頃から教材を使い、ネイティブの講師をつけ、おやこ留学に行き、英語のCDのかけ流し、プリスクールと呼ばれる英語の幼稚園のようなものに通われているような英語教育に関しては、金に糸目をつけない家庭のお子さん達です。そしてその多くが類稀なる記憶力を持った子供たちで3歳ごろには英語の絵本の暗唱がスラスラできていたので小学生近くになったら自力で英語の本をバンバン読んでくれる、と期待していたのに読まない、だから私に質問をしてくるのです。これから『英語』をどうしたらいいのかと。英検2級、準2級を7,8歳までにとってしまうような優秀な子達。あと残されたのは多読しかない、そのためには本を読ませないといけないけど、読まないから、どうしたらいいのか、とご質問を受けます。

いままでは言わないようにしてきましたが、マサミさんのメールを読むと、
何か言いたくなってきました。
けれども、マサミさんのメールで特に強調したいと思ったことは
上の部分の最後です。
小さい頃は親の言うとおりになんでも覚えたけれど、
伸びなくなる、親は焦る・・・
小さい頃の「優秀さ」は反射のようなものだったろうと、わたしは想像します。
そのころ得た知識はこどものココロに染みこんでいないので、
幼児期の超絶記憶(どの子にもある!)を過ぎると、
ちょうどいったん覚えた全国の駅名をたちまち忘れるように
伸びなくなってしまう・・・
そういう想像を裏付ける観察を、マサミさんもしています。

 この子達は読めるのです。文字は。文章は。でもストーリーを読んでいないのです。だから続かないのです。この子達は絵本を楽しんできたわけではない、ただ文章を暗記するのが楽しかっただけなのです。先生やお母さんが喜んでくれる。ほめてくれる、だから暗記をしていただけで、本が好きなわけではない。だから読まないのに、英語は理解しているでしょう。読まないのは英語ではない、お話を読んでないから、その理由は育児の考え方に偏りがあるからなのですが、自力で読む娘を持つ私がまるで魔法でも知っているかのように思っているのです。

中学1年生をある塾にやって多読をさせたところ、夏休み前にHarry Potterを読んだと喜んで報告してくれたお母さんがいました。わたしは、「それは違いますよ。Harry Potterを読んだのではなくて、お母さんへの愛を示しただけですよ」と、厳しいことを言ったのでした。こどもは親に(見捨てられないように)、親の望むことはなんとしてもその通りにしようとすることがありますね。こどもが何か驚くべきことをやってのけたら、親は「わたしのプレッシャーが強すぎたのだ」と反省した方がいいと思います。

 私の娘はCDやカセットテープの聞き流しをしたことがありません。暗唱もしたこともありません。アルファベットもフォニックスもちゃんとやっていません。でも小さいときから、どこに出かけるにも英語であれ、日本語であれ、絵本とお弁当をもって出かけていました。今でも読んで、といいます。そしてできる限り読みます。

読み聞かせはプレッシャーではありませんね。
寝る前のいちばんわがままな時間に読んでもらいたいと思うのは、
こども自身が心地よいからでしょう。

 その本を娘だって読めるのです、でも母である私に読んでもらいたいのです。なぜなら絵本の世界を共有したいからです。4歳になった息子は私とおねえちゃんに本を読んでもらうのが大好きです。そして寝る前に3人で絵本を読みます。私たちとってこれは英語の学習ではなく、楽しいひと時なんです。それ以上でもそれ以下でもありません。
数年前に懸念したいたことが現実化し、さらに加速している子どもを取り巻く英語教育の変化について。
ネット上で先ほど出てきたような『優秀なお子さん自慢』をされているお母さん達の多くがディズニーかCTP、または両方をお子さんの『英語教育』に使用されています。そしてその後はORTに移行しています。多読法がそれを助長しています。実際にCTPを使った家庭での英語学習法を提案されたのは中村敦孔(あつこ)さんと仰る先生だと認識しています。ホームページはこちら
http://www.lunoa.com/

わたしが知っている「バイリンガル・キッズ」(もちろん冗談でこう呼んでいるのですよ)はディズニーを使わずにそうなりました。
多読が昨今の「英語教育」を助長していると言われると、つらい・・・

その結果0歳からの5,6歳の子供たちを持つ母親にとって、ディズニーとCTPそしてその次のステップであるORTが『英語学習の希望の星』になり、『優秀な子ども』に続けと毎日お経のように子供たちにCDを聞かせ、絵本を見せています。それが4,5歳から始まるのではなく、0歳から始まっているのが現実です。そしてその目標は最初の3年で100冊を暗唱、というものです。そしてその後、100English、ORT、レディーバード社の音源付きレベルアップしていく本やGraded readers(でしたっけ?Step into readingシリーズみたいな感じのもの)と続々続くのです。CDのかけ流しに関しては朝ごはんを食べながら、とか遊びながらとか、まるで睡眠学習のように無意識の状態でもどんどん聞かせたほうが有効、のように思われています。(これに関しては提唱者や、教材がそう言っているわけではないようですが、多ければきっと良いに違いないと思った母親達はそう受け止めているようです。)
私は中村敦孔さんの考え方に真っ向から反対です。なぜなら彼女の著書の中に『高価な教材を買うことをためらっても、それが絵本なら誰も文句を言わない』という一文があり、またCDを聞かせて絵本を母親がめくるところから始めましょう、というのは『英語学習法』としてはアリだとしても、『子育て』からしたらあまりにも不自然な気持ち悪さが漂っているからです。

この「不自然な気持ち悪さ」という感覚は大事にしなければいけないなと思っています。こどもを思うあまり、つい不自然なことをやったりやらせたりしてしまうのですよね、親というものは・・・

私は親子のコミュニケーションとしての『絵本』が親の欲望をかなえるための『教材』となり、それが『親の愛情』という言葉にごまかされてしまうことを懸念しています。絵本はそんなちゃちな物ではありません。
しかしながら、現実はCDを聞かせて本を見せるだけの手軽さから、英語に自信のない母親達の圧倒的な支持を受け、増殖していっています。毎日CDを聞かせられ、3歳も過ぎる頃になったら、暗唱をさせられる子どもたち。できなければ叱られ、ののしられる。月に2冊も暗唱できるわけないでしょう。暗唱することが楽しい子供
たちはごく一部です。しかもその暗唱が将来『本が読めない』子どもを生み出しているとすれば問題ではないですか?CDは正しい発音をする、といいます。正しい発音って何ですか?日本人の発音では何が問題ですか?
私たち母親は子供たちを愛情もって育てたいと思っています。CDには愛情は期待できません。たどたどしくたって、ヘタだって、やはり母親や父親に読んでもらいたいのです。CDにはひざのぬくもりはありません。CDは子どものペースに合わせてくれません。子どもはページを何度も行ったり来たりします。好きなページの中に隠
れている色んな表現を楽しんでいるのです。英語の絵本とは言語を学ぶためのものではなく、言語を豊かにする心の栄養なのです。もし、親が読めないのに、または読まないのに、子どもに英語の絵本をと思うのであれば、その考え方がおかしいと気づくべきです。やはり、親が読む努力をすべきです。ヘタでもいいじゃないですか
。何でダメなんですか?CDに欲望の片棒を担がせようとしていること自体問題です。そして子どもの好きな本を一緒に手探りで探して行ってこそ親でしょう。セットで買ってやれば簡単、安心なんて魂胆はやすやすと見破られます。

わたしもそう思います。やはりどんなに「下手な」音でも、親しい人が自分にあわせて、自分のために読み聞かせてくれるのがこどもにとってはいちばんではないかな?

 外国人の母親が日本で子育てをしているとき、完璧じゃない日本語だからと誰かが笑いますか?外国人のお母さんがうまくは無いかもしれないけど、一生懸命日本語の絵本を読み聞かせているのを見て『がんばっている』とおもっても、発音がわるいから子どもに悪影響だ、なんて思いますか?
そんな思いが私自身の中であり、ORTを使っての家庭での子供向け英語学習には正直注意が必要だと感じています。CTPにせよ、ORTにせよ、元来『ネイティブの子どもの読みの学習のため』の本です。ORTのストーリーの面白さ、CTPの幅の広さは認めます。また小学生くらいになったお子さんであれば、実生活での経験が十分あるの
でどちらでも楽しめると思います。しかしながら、言語というのは使う分だけ知っていればいいというものではないですから、(ござる、とか麿は申す?、とか言いませんよね。でも知っていないとおじゃるまる←漫画 が楽しめないわけで・・・)時代背景だとか、文化的知識だとか、音の響きの違いだとか様々な要素を体の中に染
み込ませていくことが、表現を豊かさにさせてくれるんじゃないかと考えるのです。そのためには言語学習としての教材本の取り扱いには注意して、むしろもっと内容のある絵本を子供たちに読んであげて欲しいんです。(語彙数が多い、とかそうのじゃないですよ)絵のタッチにしても、マンガ的なものもあり、パステル画もあり、
水彩画、油彩、色々ありますし、描写も細かいもの、シンプルだけど言い当てているもの、良く分からないもの、たくさんあるわけです。
どうも、『多読』の中の絵本は絵が忘れ去られている。それじゃぁ『絵本』ではないです。特に子どもに読み聞かせるときは、『絵』にもっと注目してもらいたいです。子どもには絵本は教材ではなく、『心の栄養のため』に存在してもらいたいと願っています。

ここをね、マサミさんは講演会のときに強調してくれました。
そして、わたしもその通りだと思います。
絵本を教材と思って「英語学習」させるよりも、
「心の栄養」と思って楽しむ方がはるかに「学習」になる!
(でも、「楽しむと学習になる」とちらりとでも思ったら、効果は半減!
まるで、禅ですね。やっかいです・・・)

では『子どもの英語』とは何か、を考えたとき、私はいつでも同じ結論に達するんです。『分からないし興味が無い』ということ。子どもの人生です。将来英語を獲得し、それを生かしていくかどうかかは本人の問題です。結局はどれだけお膳立てしても最後本人がやるかやらないか、それだけです。でも、幼い頃一緒に絵本を楽
しんだ、この思いは英語が抜けてしまっても残るでしょう。好きだった絵は目に焼きついているでしょう。それで十分ではないですか。母親である私は楽しかった充実した日々が残っていればそれでいいのです。英語をやらせるために『CDを聞かせまくった』お母さんと、『ヘタだけど一生懸命読んでくれた』お母さんには大きな違
いがあると思います。
先にやってあげれば本人の負担を軽減できるような気がします。でもきっとそれは親の浅はかな愛情ですよね。やっぱり遠回りでも自分の足でたどり着かなくてはだめなような気がします。私は30歳過ぎてから、子どもと絵本を読むようになり、英語を少しですけど獲得しました。今は日常的に英語で文章を書いたり、読んだり
、コミュニケーションをとるのに不都合があまりありません。絵本の読み聞かせも上手になりました。私たち親子は英語の絵本があったおかげで楽しい時間をすごし、結果的に英語を獲得したとはいえますが、やはりどこまで行っても『英語』はどちらでもいいです。問題は英語を使って何をしたいかです。娘の英語にしたって、そ
れが教科となったとき、成績としてどうかは分からないですし、今の英語が残るのか、消えてしまうのかさえ分からないです。消えてもいいと思っています。その時に楽しめた物、感じた物、得た感覚は絶対消えませんから。

出ましたね、「親の浅はかな愛情」・・・
気持ちはわかります。
実際わたしも「浅はかな愛情」を自分の子供に向けてきたと思います。

絵本と多読自体が目的であって欲しい、その裏に欲望を隠して子供たちを追い詰めないで欲しいと願っています。CDの聞き流しは安心できる家庭を子どもから奪っていきます。英語の絵本は暗唱をしなければいけない、という子どもへのプレッシャーに変わってしまいます。しかし、絵本を楽しむ、本をたくさん読むが目的であれば、多読の結果、英語だけでなく高い知識や幅広い興味につながることもあるでしょう、読んだ本がきっかけになってコミュニケーションが生まれることもあるでしょう。何が生まれるかは分からないですが、きっと想像以上のものが手に入るような気がします。
そんな風に考えている次第ですが、どうでしょう?
追記ですが、でもあくまで、CDを『子どもの英語』の為に聞かせる、ORTだけ与えれば子どもの英語は安心、とおもっているケースに限っての懸念であり、自発的に自分で勉強したい人がCDを使うことは有益だと思います。
長くなって申し訳ありません。読んでくださってありがとうございました。
マサミ

ながーいメールでした。
でも、無駄な文は一つもないメールでした。
このメールの内容は、これから先何十年も(悲観的な見方では何百年、
下手すると何千年も)世の中への警鐘であり続けるでしょう。
(わからない人にはわからないのだ・・・
 わからないおとなは放っておきましょう。
 問題はわかっている人がわかっていない人たちから
 どうやって自分を守り、こどもたちを守るか、ではないか?)