「こども式」は仮説です。いや仮説にもなっていないかな?
単なるthe light at the end of the tunnelで、しかもあんまり長い間(30年くらい)トンネルの中にいたものだから、眼がおかしくなって幻の明かりを見ているのかもしれません。
なんにせよ、まだ「こども式」なんていう外国語の獲得法はまだありません。
(ついでに「こども」を神聖視する気もありません。)
いまはまだこどもの言葉の獲得を観察して、おとなの言葉の獲得を観察して、
そこからどうやっておとながこどものように気持ちよく、やすやすと
外国語を吸収できるか、その道を探っているわけです。
で、「くすのき」さんが掲示板に書いてくださったことをブログにいただいて、
これからの道筋を探る一つの道標にしようと思います。
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くすのきさんはなんと新約聖書で(その中でも現代英語で訳されたNew International Version (NIVで検索すると全文が読めます。朗読もあります! くわしくは「Ryotasan」や「ケルアック」さんにお任せします)シャドーイングしているとのこと。全文は
http://tadoku.org/kb/kb7.cgi?b=yayakoshiki&c=e&id=2031
で読んでください。わたしが心覚えとして保存しておきたいのは次の部分・・・
でもこの判らない言語でのドラマ、しかも自分に判らない内容の物語の中に、
自分にも判る言葉をカケラでも見つけた時の快感といったら……刺激的ですよ!
丁度、この快感をどう言ったら良いんだろう…と思っている時に「こども式」と出合って、
ようやく、これが子供の心境のトレースなんだと気が付きました。
こんな訳のわからない音の海の中に、赤ちゃんはポツンと置かれるんですね。
その海の中で、気になる音を見つけて耳を澄ませて、ああ、こういう意味なんだって感じて……。
だから絵本をお母さんが読んでくれると、こどもは喜ぶんですね。
その音がもっと気になるし、聞こえた時には嬉しいし、
なにより判らない音の海での孤独が癒されるのが、嬉しくて堪らないんだろうな、と思います。
青くしたのはわたしです。赤ちゃんの気持ちって、こんなかな?って・・・
だからかな、多読図書を音読していると、
私にも判る音で構成された物語が心地よくて、ほんとに嬉しくなります。
しかも私は大人なので、自分から判る言葉を増やす事ができるんですよね(^^)
なので固有名詞が判らない部分は、原文を読むのではなく、
解説書などを読んで「感じられる音」を増やすようにしています。
そう、聖書の何が良いって、他の書物とは比較にならないほど、解説書が多いんです!
そうした書物で知識を上げて、いずれ子供が難解な大人の会話についていけるようになるように、
この耳にしている音もわかるようになれたらな?と思っていて、それを目標にしています♪
ここの青の部分は「おとながこどもから盗んで、こどもより早く言葉をかくとくできる」ことを説明しているのかもしれませんね。
(くすのきさんの言う「自分から増やす」というのは単語を覚えようとすることではないとわたしは思います。念のため・・・)
いままで、「おとな」(の定義がそもそも未定ですが)が外国語を獲得するには
気の遠くなるような時間が必要、あるいは無理と言われてきました。
でも、わたしはそうじゃないような気がする。
どうしてって、みなさんほんの数年でおとなの読むペーパーバックを読めるようになりましたよね? 「読む」ことについては「英語国の大人並み」に数年でなったといえないこともないでしょ?
こどもが大人の本を読めるようになるには10才は越えるでしょう?
そう考えると、すでに母語を獲得しているおとなは外国語の獲得も何分の一の時間でできそうな気がする・・・
話すことだって、赤ちゃん並みからはじめましょう。
それが「多読的しゃべり会」のやり方ですね。
(((ああ、また原稿書きに戻れなかった・・・)))
(((昼は抜くべきか???)))
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