タエさんのこどもさんが whipped とpを二つ書いたことについて、おとなにも可能だというもう一つのメールです。投稿は「グリーン」さん。わたしの「文法訳読」の授業を受けたのにもかかわらず英語で仕事ができるようになった人・・・ 教え子とはいえないような気がする・・・
タエさんの無意識獲得のメールでちょっと思いだしました。
学校英語では受験も含め意識的にスペルを記憶した私ですが、第2の英語人生からはスペルはまったく覚えようとはしませんでした。(試験さえなければわからないときは辞書を引けば済むから必要じゃなかったんでしょう・・・)でもWhippedとPを2つ書くというのと似たような現象はその第2英語人生である時からどうも私も取得しました。つまり音からなんとなくスペルが書ける(もちろんあやふやではありますが)というものです。記憶している限りでは、意外と早くにそれはやってきました。第2英語人生1年目の終わりくらいにはすでにやってきたように思います。その頃、イギリスで毎日ラジオのニュースを聞いて書き取る、というのをやっていたのですが、ラジオなので聞くしかないので、知らない単語でも聞こえたようにスペルを書いていました。自分でなんとなく書いたスペルを辞書で探す、ということも時々やりました。ずばり見つかるとかなりうれしかったけど、わからなければ、とりあえずそのままにして、翌日先生に聞こえたように音を出します。そうすると先生が正しいスペルを書いてくれました。スペルはそのときどうでもよかったのですが、そんな風にしながら段々、正解確率があがっていったのかもしれません。
Knockという単語がありますが、Nの前に音としては出さないけどKをつける単語が英語にはいくつかあります。ある時、音からスペルを探さなくてはいけなくなったときに(このときは仕事だったので、探さなくてはいけなかったのです!)なぜだか、最初にKがくるんだろうと思って調べたら当たりでした。
すいませんが、どうしてそうなったかよくわかりませんが、ただオトナだってできるんじゃないかとちょっと思ったのです。つまりwhippedと2つPがつかないと何だか変な感じがするから、Pを2つつけるという感覚です。ちなみにスペルを覚えることはその頃(いや今もですね)どうでもよかったので、努力はしてませんので実感もなく気づいたらなんとなく、読める、書けるという風になっていました。いや、書けるということよりももっと大事なのはPが2つないと変だな、と思う感覚でしょうか・・・・
「オトナだってできるんじゃないか」、「whippedと2つPがつかないと何だか変な感じがする」ここがおとなの「こども式」ではないかな? 単語の意味よりももっと「原始的な」ところで、こども式が働いた例ですね。
グリーンさんはこんな質問も送ってくれました。
外国人が日本語を学んでいくのと、日本人が英語を学んでいくのは違いがあるんでしょうか?日本語だから、私たちはオトナ式から脱出するのに苦労するのか、はたまた日本人だから苦労するのか、それともこれは万国共通なのか、いつかウェブサイトで報告してください。
わたしの想像するところでは、世界でも日本人が特に苦労するのだと思います。というのは、とくに英語については「おとな式」つまり文法訳読辞書偏重が極度に発達しているからです。日本の英語の先生は英和辞典は世界に冠たるものだと言っていますが、わたしは日本人の英語獲得の貧しさ??TEOICやTOEFLの点数に現れていると言われますがそれだけでない!??貧しさは、英和辞典が発達しているからだといってもいいと思います。
逆にいうと、日本語を話せる外国人がとても多いのは、日本語の文法がほとんど明らかになっていなくて、和英辞典にも見るべきものはない。したがって辞書は頼りにならず、「文法」を教えるのはせいぜい最初の1年だけ。2年目には教える「文法」がなくなって、慣用句みたいなものばかり教えるしかない・・・ そういう「日本語文法の欠如」が、外国人の日本語獲得に幸いしているのだと考えています。
これで答えになっただろうか、グリーンさん?
追伸 たまたま思い出したので書いておきます。多読三原則がちょうど生まれようとしていた10年ほど前、中国福建省出身のある留学生が我が家に来ていました。この人は駐車場のアルバイトをしていて、大量の読書をしていました。極端といえるほど日本語がうまくなってしまって、いろいろたずねたのですが、辞書は引かなかったとのこと。多読三原則の誕生に寄与してくれた人の一人です・・・
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