先週大わらわだった原稿の嵐が、ここ2、3日は校正の嵐となって戻ってきました。あしたまでは気が抜けませんが、ブログで書きたいことも溜まっていて、この辺でがんばっておかないと話の流れが自分でもわからなくなりそうです。
しかも「一人称と三人称」は話題そのものが複雑微妙・・・
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ブログを拝見しました。
「ケロッグ博士」のことはたしか山岡洋一さんから聞いたことがあります。わたしは読んでいませんが(ひょっとするとほかの人だったかもしれませんが)山岡さんによると、「翻訳上の新しい工夫でも何でもない。ただ彼・彼女を使わないようにしただけではないか?」ということでした。
当時は若かったので、たぶん、もっと傲慢なことをいったように思います。そん
な例はやまほどあるし、げんに、わたしは「彼」や「彼女」をほとんど使ったこ
とがないと。
やはり山岡さんの言葉だったのですね。わたしの記憶はすばらしい!
(あるいは山岡さんの発言が印象的だったとういこと?)
日本語では「彼」や「彼女」を使う場面はかなり限定されているよ
うに思います。たとえば高校時代の同級生が有名人になったとき、「彼(彼女)
はこうだった、ああだった」といいます。あいつとおれは対等なんだといいたい
わけです。翻訳を行っていてこうした場面にぶつかることはめったにないので、
「彼」や「彼女」はめったに使わないだけの話です。
なるほど! その通りですね逆説的な言い方でいよいよわかりにくくなるこもしれませんが、日本語の「彼・彼女」にあたる he、she は見た記憶がありませんね。
「よそよそしい」感じ、「寄り添った」感じというのはちょっとぴんとこないのですが、英語のheやsheと「彼」「彼女」の最大の違いは、「彼」「彼女」に話し手とその人物との間の関係を示す「含意」があることだと思います。「あなた」もそうで、たとえば「肌を許した」女性が恋人に呼びかけるときなど、話し手と聞き手の間にある種の関係があるときだけに使われる語だという点で、youとは大きく違うと思います。こういった「関係」の「含意」を一切無視して「彼」「彼女」「あなた」を使うと、訳文に責任を負わないという翻訳者の姿勢が感じられて、「よそよそしい」感じになるのかもしれません。これはわたしの文章ではなく、原著者の文章なのですと宣言しているようなものですから。
山岡洋一
これもまったく同感です。
山岡さんへのメールでも書いたことですが(ブログの記事でも言及しました)、英語の人称代名詞( I, my, me, you, he, she, they
等々)は、文章中の役割を示すだけで、「意味」や「含意」はまったくないと言っていいと思われます。
(「まったくない」と言い切れないのは、赤ん坊を指して it と言うことも
あるわけで、そのとき he, she を使わないのは「意味」があるからとも
言えるからです。このあたりはまったくオタク的発言)
それで、掲示板でも独立宣言に注目した人がいたので、山岡さんの独立宣言翻訳論が
ご自身のメール・マガジンに掲載されていることをお知らせします。
●『翻訳通信』第79号(2008年12月号)の内容
■ 翻訳の歴史 山岡洋一
− 「アメリカ独立宣言」の翻訳(1)
「アメリカ独立宣言」には、慶応2年の福沢諭吉訳をはじめ、多数の翻訳があ
る。これらを音読していくと、幕末明治の福沢諭吉訳と中村正直訳が、じつはと
くに意味が伝わりやすいうえ、「独立宣言」にふさわしく、力強い文章になって
いることが分かる。これに対して口語体翻訳調の訳からは、訳者がどこか他人事
として、原文の内容を解説しようとしているという印象を受ける。
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また、来月はじめまで待てればこのページからバックナンバーへ進み、80号をクリックして読めるようになるはずです。
言葉オタクのための翻訳論です。
言葉オタク以外のみなさんは毒マークつきとお考えください!
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