「薬」が効きすぎた?

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  (原稿の締め切りが重なって、ほかにもいろいろ重なって、記事がたまって
   おります。今晩中に大方を記事にしたいと思っております・・・)
「さよなら英文法!」についてさまざまなお便りをいただいていますが、一つだけ、
予想していなかった感想があり、気になっています。
つまり、あの本の「試訳」のように訳せることをめざしたいという人が少なからずいらっしゃるのです。
うーむ・・・ まいったな・・・
あの本の試訳はすべて「墨塗り法」というやりかたで頭から順に訳しているのですが、
墨塗り法を言い出したのは、それをやると学校文法のたががはずれやすいはずと考えたからです。決して、「みなさん墨塗り法で訳しましょう」と言いたいわけではないし、「墨塗り法なら和訳の害は少ない、あるいは和訳が無害になります」と言っているわけではありません。
  (必要があって、あるいは職業として翻訳するには墨塗り法は
   これまでの翻訳法を抜け出すのに役立つかもしれませんが、それとても
   抜け出した後は墨塗り法は用無しになるはずです。)
翻訳を仕事としない人でも、学校文法にがんじがらめになっている人は、その縛りをほどくためにやってみるといいですよ。でも、授業で使うというようなことはゆめゆめお考えにならぬよう。それはわたしの意図とは正反対の方向です・・・

> つまり、私のような環境であれば(英語の専門学校)やっぱり
和訳は必要なのだろうか、というのが私の質問です。英語がたっぷりたまり、
日本語もしっかり練れていたなら、逐語訳ではないきれいな通訳がかえって
できるのでは、とはうすぼんやり思うのですが。そこに至るには時間が
かかります。時間が足らない、というのが最大の問題?勤務校は2年制です。
そして教える側も英語があふれていない状態なので、中途半端だし・・・・。
一人のタドキストと英語教師の間で揺れている、というところでしょうか。

申し遅れました。これは「Whiskers」さんからのメールです。
英語の専門学校で和訳が必要かどうか、それはわたしにはわかりません。もうしわけない。
わかっているのは、墨塗り法は「よりよい?和訳」のために提案したのではないということです。うーん、やっぱり提案の仕方が甘かったな・・・