(毒) 一人称と三人称 山岡さんのメールから

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【警告】 以下の記事には高濃度のウンチクが含まれており、多読の成長を阻害する恐れがあると文部科学省食品衛生局が認めている。服用に際しては用法用量を守り、副作用に気をつけることを強く推奨する云々・・・
「さかいの本」の掲示板で、一人称と三人称のことが話題になりました。それについて、翻訳家の山岡さんからもよく似た主旨のメールをいただいたのを思いだし、ブログで記事にさせてくださいとお願いしたところ、快諾をいただきました。
ウンチク的には非常におもしろいですよ!
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まず「一人称と三人称」という話題の発端を紹介しておきます。
最初はある人からのメールでした。
http://blog.tadoku.org/?eid=786532
この中である人は、
「 でも、気になったところもあって、「女に向かない職業」のコーデリアの場合は、やっぱり語り手がいるように訳した方がいいのではないかと思いました。いくら語り手がコーデリアの視点に寄り添っていても。キンジー・ミルホーンものみたいに、地の文に、Iが出てきてないので、比較するとやはりおかしい気がします。ここぞというときは、地の文に「わたし」って出てきてもいいとは思いますが。」
と書いていて、これが実に大きな問いであることが、その次の日に「さかいの本の掲示板」に投稿してくれた「みちる」さんの投稿でわたしにもわかってきました。みちるさんの投稿は
http://tadoku.org/kb/kb7.cgi?b=sakai-books&c=e&id=12
です。「酒井さんの寄り添い症候群」とはうまい名前をつけたものです!
で、ふと気がついたら、これは大きな問題だとわかったので、みちるさんの投稿に対するわたしの返信で、

地の文のように見えて、実は作者が登場人物の中に入って
その感情や考えを書く場合があるわけですね。
これは he で始まっていたりするから、ただ「he=彼」と
思っている人は第三者的な距離を持って描写していると解釈して
しまうわけです。
つまり三人称で書いてあっても作者は一人称のつもり?

と書きました。
         ***ここまで経緯を振り返りました***
で、今回の山岡さんのメールに入ります。山岡さんは気迫のある翻訳家です。経済書の翻訳の第一人者で、すでに何度か紹介していますが、いちばん大事なお仕事はアダム・スミスの国富論の翻訳でしょう。
  (ブログで紹介したURLを書きたいのに、見つからない・・・)
で、次のような質問を寄せてくださいました。

ご無沙汰しております。ご活躍の様子は「こども式」のサイトで拝見しておりま
す。
じつは酒井様にお教えいただきたいことがあり、勝手ながらメールを差し上げま
す。いま、アメリカ独立宣言の翻訳について調べているのですが、一箇所、どう
もよく分からない点があります。以下の部分です(なお、全文を添付しました。
1ページの下線部分です)。
Such has been the patient sufferance of these Colonies; and such is now
the necessity which constrains them to alter their former Systems of
Government.
たとえば政治学者の斉藤真はこう訳しています。
これら[アメリカの]植民地が堪え忍んできた苦難は、まさしくそうした場合で
あり、いまや彼らはやむなく、彼らの従来の統治形体を改変する必要をみるにい
たったわけである。
原文の三人称を「彼ら」と訳しています。こうでないと、東京大学名誉教授には
なれないし、文化勲章をいただけないのだと思います。
これに対して、福沢諭吉はこう訳しています。
我諸州正シク此ノ難ニ羅レルカ故ニ政府舊来ノ法ヲ變革スルハ諸州一般止ム得サ
ルノ急務ナリ
「我諸州」ですから、一人称に転換しているわけです。考えるまでもなく、翻訳
としてはこの方が正しいと思いますが、それはともかく、原文でなぜ、三人称が
使われているのかが疑問になります。この部分を一人称で書くのは簡単ですから、
なぜ、三人称のthem、theirを使う書き方にしたのかという疑問です。ここで一
人称ではなく、三人称を使ったことで、何らかの効果があったと考えられるので
しょうか。

わたしの返信は
  「「文章中の係り方」の問題であって、「意味に関わる」問題ではない」
だろう、という簡単なものでした。
いまでもそう思っています。第三人称が使われているのは、ほとんど意味はないと思われます。「文章の係り方」の問題で、複数の名詞を受けたので、them/their だというだけでしょう。意味がない証拠に、これ以外の受け方はありえない! これ以外の受け方がありえるなら、意味が出てくる可能性がありますが、書き手の意思に関係なく 「複数の名詞(colonies)は複数の三人称」で受けるしかないのですね。これをおなじ複数だからといって、we や you で受けるとどの名詞を指しているかわからなくなります。
そこで、一気に「一人称と三人称」の話題へ・・・
福澤諭吉はさすがですね。まったく何の顧慮もなく、このつながりを日本語で表現するなら「我諸州」と訳すしかないと、「寄り添った」わけです。
さて、ここでウンチクはさらにその度を増して、直接話法、間接話法、中間話法などというところに発展するのが当然なのですが、これまでの経緯を明らかにするためにブログと掲示板をあちこち行き来しているうちに、すっかり時間を食ってしまい、そろそろ寝る時間が迫って参りました。
書き足りない分は、掲示板なりメール・フォームで質問をお願いします。
なお、山岡さんの国富論の翻訳はどうしてももう一度紹介したいので、ブログのURLが見つかったら、その部分を書き直すことをいまから予告しておきます。