まとめ−−それなりの・・・

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もとは掲示板への投稿として書いたものですが、ブログとして公表します。
なお、この文章をまとめるにあたっては、わたしの研究室の研究員と研究協力者と、社会人サークルのMさんが、2時間以上にわたって意見を言ってくれました。わたし1人だったら、千々に乱れた文章になったでしょう。つくづく多読はみなさんが作ってくれたのだ、わたし1人のものではないと思ったことでした。
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これがたかぽんのすべての問いかけに応えているとは思いませんが、
たかぽんの問題提起の本筋にすこしでも近づいていることを願っています。
問いかけの一つ「楽しいことであれば、三原則にこだわることなく、
なにをやってもかまわない」ということについては、
ぼくは Yes. と No. の両方の答えをしないわけにはいきません。
「楽しくなければ続かない。楽しいからこそ続けられる」というのは、
「どうして英語が使えない?」を書いたころから、ぼくの中心課題です。
だからこそ、辞書を引くことの煩わしさ、英文和訳の脅迫、
わからないことへの罪責感、そんなものから自由になって英語を読むことの
楽しさを分かち合いたい−−そこから多読三原則ができました。
その限りではたかぽんの言うことには全面的に Yes. です。
それでもあえて No. とも言わなければならない背景には、
皮肉なことに思いがけぬほどの多読の広がりがあります。
ぼくの教室では支援の際に、三原則を目印にしながらも可能な限り
一人一人を見て支援します。一人一人の学生や社会人や中学生、
高校生がどんな興味と関心を持っているかに注意を向けて、
心から楽しんでいるかどうかを重要なポイントにします。
しかし、多読に興味を持つ人が増えたいま、掲示板上や、
著書の中では必ずしも個別な事情を窺いにくかったり、
講演会で会うだけで次にいつ会うかわからない人たちを
相手にする場合には、教室の場合よりも踏み込んで、
多読三原則を強調します。もっと具体的に、「NHKの基礎英語は
聞かないほうがいい」などと言う場合もあります。
普及してきたが故に禁止を強調しなければならないという矛盾ですね。
けれども、一方で三原則を強調し、また一方で楽しさを伝えることで、
みなさんとの出会いも生まれてました。いわば、たかぽんの
問いかけに対する Yes. と No. を二つながら使い分けてきたのです。
No. についてはもう一つ、たかぽんとの大きな違いがあります。
それは「楽しい」が本当に「楽しい」のか疑問な場合をたくさん
見てきたことです。実はなんらかの強迫観念に追われて
「すべての語を理解してから先へ進む楽しさ」、
「文構造がわかる楽しさ」
「訳語がわかって、文が全部わかったときの快感」を言う人たちがいます。
ぼくは「楽しければすべてよし」に全幅の信頼を置けないのです。
授業で、学生の表情を見、言葉を直接聞いていれば、「楽しい」の
細かい含みがわかりますが、掲示板を通してだったり、講演会で
会っただけという人については、そこまで細かくわからないので、
どちらかといえばたくさんの人に通用する(とぼくには思える)
「禁止」を口走ることになります。
  (京都オフ会でなにわのはにわさんが覚えていてくださった
   「1000人には正論が言えるけれど、1人を相手にすると
   どう支援していいのか自信がない」というのと
   おなじです。)
思えば、これまでずっと Yes. と No. の間で揺れ続けてきた
のですね。
もう一つのたかぽんの論点、「学校英語批判」批判にしても、
思いは複雑です。正直どれだけ意味のあることか、わかりません。
おそらく文部科学省に対しては何の意味もないでしょう。
そのようなものとは一線を引き、多読の良さを訴えることに
集中した方がいいという意見は「どうして英語が使えない?」以来、
聞いてきました。
「樽の穴」の議論のときだったか、ぼくは多読している人に向かっては
学校英語批判はしない、しないようにする、たぶんしないんじゃ
ないかな?というはなはだあやふやな約束をしました。
けれども、「どうしたら英語が身につくか」と「学校英語ではなぜ
身につかないのか?」は一枚の硬貨の裏と表の関係なので、
片方を語ることがもう一方を語ることになってしまうことが
よくあると思われます。
でもがんばります。批判に時間を割くよりも、「こっちのみーずは
あーまいぞ、でいけばええんです」(間者猫さん)で行くために、
あしたの小金井北高校の講演では、(カイさんの忠告もあって
なるほどと思ったので)徹底的に多読・多聴・シャドーイングすると
世界の大学の講義が聴けるよー、インターネットで英語のディスク
ジョッキーもできるよ、みんな文科省なんかほっといて、
羽ばたいてしまおうね−!という話をしてきます。
最後に、今回のことはぼくはとてもよかったと思っています。
何人もの方から、掲示板を見に来た人が引いてしまうという懸念を
聞きました。けれども、今回のことはこの掲示板の健全さを
あらわしているとぼくは思っています。(傷ついた人たちには
申し訳ないですが。)
またそのうち楽しい話ばかりの時期も来るでしょう(またその先に
熱っぽい議論があるとしても)。そういう波は掲示板にも
多読にもよくあることです。みなさんが多読に向ける気持ちの
まっすぐさ、熱さ、あたたかさを見ることができました。
ありがとー!
あ、最後に、いづこさんの言うとおりです。お布施をもらっている
わけではないので、ぼくは教祖ではない。杏樹さんのいうように
過度にぼくのいうことを真に受ける人がいたとしても、
(初心者ではない人でそんな人はぼくには思い浮かばない・・・)
冷めたらすぐに離れることができる(お布施のような「投資」を
していないから)。教祖問題はぼくは吹き出してしまうだけで
何の心配もしていません。
みなさん、ぼくがお布施を要求するようになったら、そのときこそ
諫めてください!
ではここまでにします。