多読に挫折という言葉は似合いませんね、実は。寝太郎さんだって、また他の人だって、挫折なのか、中断なのか、停滞なのか、すぐにはわからない・・・
それも多読の特徴かな? ま、それは最後にもう一度考えましょう。
まずは、寝太郎さんのメールを読んでください。わたしにはとても示唆に富む内容です。
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まさか、引用されるとは思ってませんでしたよ。
「ふみだい」って表現はきつすぎましたかね。
いえいえ、ちっとも!
というのは、多読は100万語くらいで指導を受けずに自分で本を選べるようになることを目指すというようなことを「快読100万語!」に書いているはずです。
つまり、わたしの多読はもともと「ふみだい」になることをめざしていたのです。
これは冗談でもなんでもないです。最近になって、外国語教育の方で scaffolding という考え方があることを知りました。scaffoldingというのは、家を造るときに外壁の外側を足場で囲むでしょ? あの足場のことで、家が独り立ちするとはずしますね?あれとおなじことなのです。まさに「ふみだい」になることが外交語教育の一つの目標です。
もう少し詳細を述べると、
もちろん最初から多読を「ふみだい」にする気はありませんでした。
数度のPBへの挑戦が負け続きで、停滞しました。
そして、和書に多読の時間がとられてしまい、停滞前簡単に読めていた作品を読めない自分がいて少し落ち込みました。
なるほど・・・
でもまぁ、口語調や講義形式の英語の文法書は読んでいたわけでして、それはそれで充実していました。
あの文法書かな? わたしが唯一「どうして英語使えない?」でけなさなかった「○ ○○」さんの本?
まぁ挫折というより、方向転換、もしくは「意識」しての停滞ですね。
そんなこんなで、あっという間に2年たち読めなくなった(レベル2がね読めなかったのさ)
停滞したのは、つい100%と近い解釈を求めていたからでしょう。
この分析がわたしにはとてもありがたいのです。参考になります。
多読やり始めたころは、50%で読んでいたと思いますが。。。
肩に力が入りすぎていたのですね。
Happy Reading ではなくなっていたのです。
だから読まなくなった。やはり挫折か・・・?
まぁ、おいらの場合、病気のせいでモチベーションや集中力が出ないのですよ。
冗談抜きに、物忘れが多いからねぇ。
そんなところです。
停滞と挫折と中断の差が、多読についてはわかりにくいですね。
(もちろんそんな違いは対してことではないのですけどね)
たとえば寝太郎さんはいつか「ふるさと=多読」に戻ってきそうです。とすると中断、あるいは停滞?
わざわざ小さな違いを問題にすると、挫折は「もう戻らない」と思ったときではないかなあ・・・?
いずれにせよ、ゆるゆると行き先が決まっていけばいいのではないでしょうか? わたし自身、あまりにゆるゆると決まっていって、最終的に決まったのは50代半ばだった・・・ いや、実はいくつかの点ではまだ決まっていないなあ・・・ ま、わたしのことはよいとして、寝太郎さん、こんな感じで折々にメールをね、ときどき・・・
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