レールをはずれるために −に− について、「間者猫」さん

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多読にレールなどはじめからない・・・というのが多読が趣味になった人たちの
共通した感想のようであります。
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 酒井先生が自身のブログで
”レールをぶっこわそう!”ということを書いていたので、
思う所を書いておきます。
(これをこども式掲示板に投稿するかどうかは決めかねています)

決めかねていたのに、わたしが強引にもらってしまった・・・

 希代の天才詐欺師、酒井邦秀の提唱した多読は
3原則を心に留めて、易しい本、面白い本から読みましょう。

うれしいです。
わたしは「ペテン師」と呼ばれることをはたち前から望んでいた。
でも純情可憐なわたしにはとてもかなえられない望みだと思っていた。
それがついにペテン師まではいかないけれど「詐欺師」と呼んでもらった!

3原則とは
1.辞書は引かない
2.わからないところは飛ばす
3.つまらない本はやめる
 
そうすればペーパーバックを読めるようになりますよ、という提案だったと思います。
(そういう意味では酒井先生は英語ができるとは言っていないと思うのですが。)

はい。「快読100万語!」ではペーパーバックが読めることをめざしました。
「英語ができる」とは書きませんでしたね。

目安としては百万語(今思えばこれは見せ金ですな)ですよ、と。

30年前にロンドンの盛り場でその「見せ金」で寸借詐欺にあったことがある・・・
なつかしいなあ!

今にして思えば、この”易しい本から読もう””ということと
”語数はだいたい百万語”というのが曲者だったわけですが。
 私は児童書がどうも馴染めないために
無理矢理ペーパーバックを読んでいったのですが、
これは特異な例だと思います。
 当然ながら最初はサンプルが少ないため、GR中心の提案でしたが
どんどん多読を始める人が増えてきて、
自分達でどんどん絵本や児童書を開拓し、様々な道が用意されてきたわけです。
細い一本の道が太く様々な道へ拡がっていった。
 ただいつの間にか気がついたら、
多読の宣伝文句が”ペーパーバックを読む”から”英語ができるようになる”と
すり変わってしまったのではないか、そんな気がします。
(酒井先生は英語ができるとは言っておりません。誤解のなきよう)

多読の宣伝文句っていうのをそもそもわたしは知らないのですが・・・

なぜだ?(まあ個人的にはどうでもいいことなのですが) 
 多読は所詮は読書なので、
試験勉強中に、つい漫画を読んでしまうとか、
映画を観に行ってしまうとか、
パチンコにいってしまうとか、まあそれと同レベルだと思います。
 読みたい時に読めばいいし、読みたくない時は読まない。決してお勉強ではない。
それにタドキストが歩んだ道は、
その人それぞれの道であって、他の人の参考にはなるけれども、
同じ道にはなりえないものだと思います。
 というわけで、そもそも多読にはレールなぞ、ないのです。

ナビィさんもそういう意見でした。
そうなんですよね。わたしだってレールを敷いたつもりはなかった、そもそも。
それが、語数が一人歩きをはじめ、YLが一人歩きをはじめ、ペーパーバックを読むことが一人歩きをはじめて、いまは多読にもレールがしっかり敷かれているかのように、見えるのでしょうね。
その「レール」を「人々が踏みならした道」と考えれば、皮肉なことに「そもそもレールなぞない」とおっしゃるみなさんが「レールに見えるもの」を作った!
ま、それが多読が広がって、中心的な意味が薄くなるということなのでしょう。
いよいよわたしは外国語業界のドン・キホーテ(akoさんの命名)として、荒野の怪物をやっつけることに専念することにしましょう。
なお、間者猫さんの元のブログには、「中心的な意味」を忘れたことのない(とわたしには見える)「いづこ」さんのコメントもあるので、ぜひお訪ねください。
http://kanjanekotadokist.blog39.fc2.com/