レールをはずれるために −に− に、「ナビィ」さんのメール

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ナビィさんもレールについて感想を寄せてくださいました。
ヒラリー・クリントンさんやオバマさんの本を読んでいるナビィさんはレールなんか関係なく自分の道を切り開いていますが・・・
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 酒井せんせー、こんにちは。ナビィです。
 このところの話題「レールをはずれるために」について、思うところを少し書いてみます。

ありがとー! 
  (ところで、「先生」でなく「せんせー」って何人かの人が書いていますね。
   押しつけようとは思わなくても押しつけることになるのかも知れませんが、
   「せんせー」の方がわたしは居心地よい・・・ 
   けれどもまあ、みなさんのお好きなように・・・)

 第一は、もともと多読に「レール」ってあったのかな?ということです。掲示板で見ている限り、一人として同じ道を歩んだ人はいないはずです。それは酒井せんせーが一番良くご存知でしょう。「今読んでいるレベルだったらこんなシリーズがあるよ」とか「行き詰ったときはレベルを落としてみては?」といったアドバイスはたくさんありますが、これを受け入れるも受け入れないも本人次第。だから「レール」は無数になる、もしくは「レール」そのものがないことになるのではないかと思います。ただ、初心者へのアドバイスは必要だと思いますけどね。

その通りです。
多読に「レールがあった」ように書いてしまったわたしがよくなかった・・・
何度も書いておりますが、最初はわたしもマクマーンさんのいう道しるべのつもりだったのですが、最近はそれがレールのようになってきているので心配なわけです。

 第二は、「お勉強」はそんなに否定すべきものなのか、ということです。私自身は学習法のひとつとして多読をはじめましたが、200万語ぐらいから(ちょうど Gun Lake Adventure シリーズを読んだ頃です)完全に学習から趣味へと移行してしまいました(^^;)。
 だから、入り口は「お勉強」もあっていいと思います。だけど、多分「お勉強」主体の方は、100万語をこえて、効果が思ったほど出ないと感じると、別の学習法へ移っていかれるのではないでしょうか。だから200〜300万語以上読んでいる人たちはほとんど全員趣味の世界と言っていいと思われます。

これもまったくその通りです。
ふたたびみたび引用すると「近眼の独眼龍」さんの「多読が学習法でなければはじめなかった」というやつですね。入り口が「学習法」なのは仕方ないことです。現実ですね。
けれども何百万語も読んでいるのに「学習法」を抜け出せないのは心配です。

 第三は語数・冊数・ページ数のカウントですが、どれでもいいと思います。私自身は語数と冊数でカウントしています。絵本やLRの1ページ、1冊はPBにひけをとらないと思うからです。

だいさんせー!

 今は700万語を越えていますが、レベル0〜3の絵本や児童書はいまだに手放せません。というか、それこそ1000万語を超えても読み続けると思います。このレベルはすごく心地いいですから(^^)。

心地よい・・・ いい響きだなあ・・・

 最後に最近の読書遍歴です。ヒラリー・クリントンさんとオバマさんの本を読んだので、マケインさんの本も読もうと思ったのですが、これはご本人の著作ではないこともあってか、どうも話がわからん!結局3分の1ぐらい読んだところで投げました。その後、洋販ラダーのアメリカ政治についての本を読もうとしましたが、何となく不自然な英語になじめず、2〜3ページで潔く投げました。で、今読んでいるのは、以前から読みたいと思っていたドラッカー氏の本です。やっぱり読みたい本を読むのが一番ですね。

わたしは読んでないのですが、たくさんの人を観察してきた勘でいうと、
ナビィさんのそういう反応はたぶん「正しい」のではないかな?
マケインさんの本も洋販ラダーもおかしいかもしれない。
ナビィさんがきれいに整理してくれました。
レールをはずれるために・・・ようやくわたしの言わんとしたことがみなさんからの反応で少しずつ整理されてきましたね。
ナビィさん、みなさん、ありがとー!