多読はここまで来た! 先生はどこへ行った?

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これまで約7年間の多読の道程を急いで整理してきましたが、新装開店がすこし先になったので、ちょっと余裕ができましたね。その余裕の間にまだまだ思いつくかもしれませんが、今回がまとめです、一応・・・
「その拾四」の最後で書いたように、多読はどこまでも「自分の足で立ち、自分の目で行き先を選ぶ」ので、先生はいらないようであります。
このこともみなさんが教えてくれたことです・・・
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つい最近「みんなの広場」の掲示板でわたしのことを「先生」と呼ぶかどうかで議論がありました。「呼ばないでくれ」というわたしに、「影響力の大きさを意識するように、先生と呼ばれてなさい! さもなければ廊下に立ってなさい」という意見がありました。
そういう理由で先生という呼び名を我慢しなければならないとは思ってもみないことでしたが、なるほどそういうものなのかもしれません。
ただ、事実はわたしはみなさんに何かを教える「先生」ではありません。わたしはほとんど一方的にみなさんからいろいろ教えてもらいました。みなさんは多読三原則をわがまま勝手に変形し、ねじ曲げて曲解し、活用して、わたしが想像もできなかった道をどんどん切り開いてきました。
その証拠に、このシリーズのいままでの記事拾四のうち、わたしが言いだしたことはわずかに「その壱」のみです。あとはぜーんぶ、みなさんが切り開いてみせてくれたのです。
「多読は革命です」と言ってくださったのは「まこまこ」さんですが、掲示板は奇跡だと何度も言ったのは「わたし」です。きっとみなさんは大げさに褒めているのだと思ったに違いありませんが、そうではありません。多読三原則を言いだしただけのわたしの目から鱗をぼろぼろと落としてくれたのはみなさんです。そのどれもが、「素直に考えればそうだよなあ・・・」と納得できることばかり。
多読には先生などいないのですね、まことに。
ただ、少し早くはじめた人と、少し遅くはじめた人がいるだけ・・・
わたしはこれまでも「多読では、100万語読んだ人は50万語読んだ人に助言できるし、10万語読んだ人は5万語読んだ人に、5万語読んだ人ははじめたばかりの人に助言ができると言ってきました。
  (お金をもらって多読の支援をする場合はもう少し条件がきびしくて、
   やさしい本を100万語分くらい読んでいること、
   一人一人の顔を見られること、となります。)
実際SSSの掲示板やこども式の掲示板はそんな風に等しく多読をする人たち(あるいは多読する人たちの気持ちのわかるペーパーバック読みの人たち、sakigoroさんとか、Ryotasanさんとか、グリーンさん)が旅は道連れとばかり、知っていることを披露してくれる場所でした。いまもほぼそうです。
多読には先生はいらないのです。それはみなさんがどなたもすごい人たちだからです。それは日本中を歩き回って、こどもからおとなまでおそらく何千人という人と会って、わたしが日々確認していることです。
  (みなさんのすごさを確認するのは二つのことからです。
   一つにはみなさんのくれる知恵と知識の独自なこと、豊かなこと、
   もう一つは、みなさんが軽々と理解していることを残念ながら理解しようと
   しない人たちの多さ、その二つから確認できることです。
   いつかそういう人たちにも納得してもらえるようになるといいのですが、
   いまのところはどうしたらいいのか、わかりません。唯一考えられるのは
   楽しく多読した人たちが実際に英語を使えるようになって、現実的に
   他の人たちの手本になることです。疫学的証明しかありえないと思います。)
で、わたしはみなさんに深く感謝します。わたしにこれだけたくさんの新しい道を見せてくださったみなさんにお礼の言葉もありません。
唯一考えられる(またか!)感謝の仕方は新しくできる「多読村」を、今まで以上にみなさんが「みなさん自身」でいられるところにすることです。がんばります。楽しく一緒に村を作っていきましょう。よろしくお願いします。 
Happy … everything!