多読はここまで来た! その八 に、「たこ焼き」さんのメール!

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なつかしいたこ焼きさんから「物語の力」についてメールをいただきました。
なるほど、ユングの心理学といわれればなるほどと思いますね。
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「物語の力」を考えはじめてから「物語」を中心に据えた話が目につくようになりましたが、あれはユングの言い出したことに源があるのかもしれません。

酒井先生、お久しぶりです。
たこ焼@慢性停滞ながらも最近1200万語通過、です。(^^)

慢性停滞と1200万語通過はちょっとそぐわないような気もしますが、ま、受け取り方次第ですからね。

「物語の力仮説」とそれに続く「Hydeさんからメール」、
とても興味深く拝見しました。
なるほどー。
以前から先生が仰っていた「物語の力」って、こういうことだったんですね。
(すでにあちこちで何度も語っておられるそうですが、
すいませんです、私は具体的な内容を今回初めて知りました。)
で、思ったんですが、
「物語の力」と「言葉の最小単位は物語」とは非常に相性いい!
6月22日のブログ記事では「言葉の最小単位は物語」を
先生は否定されておりますが、それを覆すべく、
「言葉の最小単位は物語」のエッセンスと「物語の力」との関係について、
私の思うところをお伝えしたいと思い、メールを書いております。

いや、その・・・ 否定したのではなくて、そこまで広げてしまうとあらゆる言い方が可能になって、何も言わなかったとおなじになってしまうと言いたかったわけで・・・ あ、否定の逆で、やっぱり否定ですかね?

> それに、ふと回りを見ると、「物語」ということを題材にした本や考え方は
> ほかにもあるらしい。そしてそのいずれもが、物語は人の心の奥底に
> 訴えるというようなことを語っているらしい、と気がつきました。
ひとりひとりの物語(つまり人生)と神話や伝承との関係を調べている
「ユング心理学」という体系が、多読を考察するのにとても有効だと私は思います。

なるほど!

多読三原則にしろこども式にしろ、先生が目指されているもののひとつは、
「無意識の合理性の意識的な利用」
ではないでしょうか?
だとすると、キーとなるのは、「意識」「無意識」およびそれらの「関係」です。
これらはまさにユング心理学が対象としているものなのです。

いやー、そんなことだとかっこいいんですが、いまのところは少なくともそうではなくて、「多読は理屈じゃないところ、つまり心の奥底みたいなところにつながっているのではないか」という仮説を考えているだけです・・・

このユング心理学には「コンプレックス」という概念があります。
これは、何らかの感情を核にして
無意識の領域に形成される連想の複合体のことなのですが、
この概念を使えば、「言葉の最小単位は物語」も簡単に説明できます。
つまりは、
『言葉とは、ユング心理学で言うところのコンプレックスであり、
新たにコンプレックスを形成しうる最小単位が物語である。』
ということなのです。

ほーほー!

さらに続きがあります。
実は、このコンプレックスの形成は、
まったくの白紙の状態から心に書き込まれるのではないのです。
既に生まれながらにして心にはパターンが書き込まれていて、
そのパターンをなぞるようにしてコンプレックスが形成されるのです。
この生得的なパターン、心の働きのパターン、特定のイメージを生み出すものが
ユング心理学で言うところの「元型」(げんけい、アーキタイプ)です。

なるほど・・・

元型というと、「アニマ」「アニムス」「グレートマザー」
「トリックスター」「老賢者」などがよく知られていますが、
これらは、数々の神話のエッセンスとして抽出されてきました。
つまりは、「元型」とは「物語を生み出す種」あるいは
「物語そのもの」とも言ってもいいのかもしれません。
元型は、上記したものだけではありません。無数にあるのです。
人は生得的に心の奥底に無数の物語を持っているのです。
そして、これらの物語たちを共有しているからこそ、
人と人はコミュニケーションができるのです。
これらの元型が、物語の種が、心の奥底の物語が、
言葉コンプレックスの形成を下支えする・・
「物語の力」とは、「元型の下支え」のことだと私は思います。
タドキストの中には、以上のような論考を
「理屈」としてではなく、「感覚」として分かる人も多いと思います。
おそらく、そのような人たちは、「物語を読む・書く」というのは、
「言葉を使って心の奥底から物語を掘り出すことだ」
という感覚をお持ちではないでしょうか?

ここも、なるほど・・・です。

(余談ですが、三原則に則った多読、特に「飛ばし読み」は、
この「物語を掘り出す」能力をとてもよく鍛えてくれるように感じます。
そしてこのことが、多くのタドキストがスピリチュアル系に
興味を持つようになる理由のひとつだと思います。
「物語を掘り出す」とは、「元型」にアクセスすることであり、
「元型」とは「内なる神」でもありますから・・。)
最近どうもうまく文章が書けなくって
あまり分かりやすい説明になっていないのが申し訳ないですが、
いかがでしょうか?
それでは、今回はこの辺で・・
暑い日が続いておりますので、
先生もお体には十分お気をつけてお過ごしください。

とても興味深いお話し、ありがとうございました!
今後、わたし自身の仮説の検証に参考にします。
それにしても、おなじようなことを考える人はいるのものですねえ・・・
ちょっと残念な気もしますねえ・・・ というのは、「Youはあなたではない」も、
「日本語の「文」は一人では終わらない」も、「日本語の時間表現は相対的だ」も、
「言葉の最小単位は文だ」も、わたしが自分で考えたことは、たいてい他の人が言っているらしい・・・
でも、本当は残念でもなんでもないのです。わたしは学術書みたいなものはまったく読まないので、すでに先人が言っていることをぜーんぶ自分で発見し直さないといけない。誰が先に言っていようと、自分で見つけたことっていうのは、ほんとーーーーに、うれしいです。(近眼の独眼龍さんたちにしても、自分の発見を言いたくて、蘊蓄オフをやるんでしょうね、きっと。)
いいですよ、他の人がなんて言っててもね、発見の楽しみが減るわけではない。
そのうち、きっとわたしだけの発見だって、あるはずだ!
たとえば、「外国語も母語のように獲得できる」なんていうのは、世紀の大発見だと思うな。いやいや、「多読はここまで来た!」の項目はすべて大発見と言っていいでしょうね。
そして発見したのはみなさんです。
わたしはそれをまとめて、言葉にしただけ!
なにはともあれ、たこ焼きさん、お元気そうで何より。
また遊びに来てくださーい!