「Hyde」さんに続いて、ひまわりさんからもメールをいただきました。
これはある意味象徴的です・・・といってもほかの人にはわからないでしょうね。
ひまわりさんの了解を得ていないのでぼやかして書きますが、ひまわりさんも
日常の暮らしがそのまま言葉の奥底に通じているみたいなところのある人なのです。
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今朝、
「多読はここまで来た! その八 「物語の力」仮説」
を、読みました。
いま、実家にいて、ごちゃごちゃしたことの合間に、息抜きで、読んだのですが、
読みながら、とてもうれしいきもちに、なりました。ありがとう。
追伸部分まで、読んで、
ほんとうに、ほんとうに、そのとおりなのじゃないか、と、
そんな気がしています。
多読にであえて、よかったなあと、
しずかなよろこびを、かみしめています。ありがとう。
いま、また、ちょっと、いい感じの本を、読み始めています。英語で。
こっちにいると、なかなか読む時間も、ないけど、
それでも、本がよめるって、しあわせ。
こうやって、またひとつ、あたらしい世界と出会います。
うれしいです。
ありがとう。
こちらこそ、ありがとー!
ある人が「日本語が壊れそうになった」(と、たしか言ったと思う)SSSの掲示板で発言して以来、わたしは「多読は取扱注意」または「用法用量を守って使用してください」みたいなことを考えざるを得なくなりました。幸いまだ大きなさわりはだれにも出ていないようですが、フツーの「学習法」よりも深いところまで「効く」とすると、万分の一の可能性ですが、副作用も考えておいて、それらしい報告があったらいつでも頭にフラッグが立つようにしておかなければ、と思うのです。
それもこれも、「物語の力」なのだろうか?
ひまわりさんの場合には「よい副作用」があったのだろうか?
すべてこれからの研究課題です。
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