多読はここまで来た! その弐 量について [改訂版] 

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8月5日午後に、「多読の非常識」の改訂版の名前だけを改訂しました

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この改訂版も改訂部分は赤字にしました。

今回も、すでにみなさんよくご存じのことです。

「その壱」で書いたように、新たな一歩を踏み出すために、
これまでに固めた土台を確認している最中なので・・・

初出時の「プロミス」は「プログレス」のまちがいでした・・・
どうもこの思い違いから逃れられないようです・・・
間違いを指摘してくださった「マロン」さん、ありがとー!

なお、間違えて最初の版を消してしまいました。前の版とくらべることができない!
ごめんなさい!!
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で、今回は「量」について。

わたしが多読で提案したことの中に、これまでの日本の英語学習とは正反対のことが
いくらもあるわけですが、その一つが「量の多さ」ですね。多読というくらいだからたくさん読むわけですが、それにしてもこれまでの学習法で読む量とは桁がいくつかちがいます。

*文部科学省の中学高校用検定教科書の量 6年間で数万語

 -- 中学 5000語くらい
-- 高校 2万語から5万語くらい

なお、教科書以外に問題集などをやったとしても6年間で10万語を越える人は相当めずらしいでしょうね。

*一方多読で期待している量 たくさんの人の平均で・・・

 -- 小学校6年間で100万語
-- 中学校3年間で100万語
-- 高校 2年間で100万語
-- その後は1年間に100万語ずつ?

二桁ちがいますね。100倍ということになります。しかも多読が趣味になった社会人の中には、多読三原則提案後6年で1000万語を越える人が数十人にのぼると思われます。三桁のちがいですね。

さて、量についてはこんなところでしょうか?
みなさんからの意見で追加することがありそうですね。

では、「その参」をお楽しみに!?

あ、早速思い出しました!

最近、多読を「精読をたくさんやること」と間違える学校が出てきたようです。
そういう学校では Oxford Bookworms Library のStage 4や5を、年間10冊も全訳させるとか! 多読の「量」がこどもたちを苦しめることに使われるわけで、わたしとしては複雑な思いがあります。今後、「多読のせいで英語が嫌いになった」というこどもたちが続出することでしょう。