多読の非常識 その参 母語よりも早く・・・

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「多読の非常識 その弐 量について」に対して「fiona」さんが日本語を読む量、聞く量とくらべてくださいました。

その中で「Ⅱ.英語多読、どうして少ない量で効果がある?」という項目を設けて、
日本語を読む量と聞く量にくらべてはるかに少ない量なのに、なぜ効果があるのか
という問題を設定しています。fionaさん自身の答えは「はじめのうちは効果が出やすいのではないか?」というものでした。

さて、わたしを含めてまだだれも説明できる人はいませんが、
「少ない量で効果がある」
ことは多分まちがいないと考えています。
説明は後回し(永遠に?)として、その「効果」のことを参番目の非常識としてメモに残しておきます。

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多読を広める活動をはじめたころ予想していた「効果」は、今考えるととても
控えめなものでした(?)。いわく、

  • 100万語読めばペーパーバックが読めるようになりそうだ。
  • 150万語くらい読むと英作文とはちがう「流れる文章」が書けるようになるのではないか?
  • そのうちいつか話せるようになる可能性だって、きっとある!あってほしい・・・

ところが、SSSの掲示板でさまざまな人の報告を読むうちに、どうも、多読の到達点はそんなものではなさそうだということが少しずつ、しかし確実に、明らかになってきました。とんでもないことが起こりはじめたらしいことが、少しずつはっきりしてきました。
この6年半は毎週のように、うれしい驚きが続いています。もちろん今もです。

しかもその「とんでもないこと」は(どういうことかはすぐに列挙します)
恐ろしく早く顕れるようなのです。

たとえば、読むことについては、ごく初期のことですが、純日本産の中学1年生、2年生が多読をはじめて1年もたたずに英語国の中学1、2年生が読む本を楽しみはじめました。

それから少しして、ある小学校3年生がOxford Reading Treeを半年間読み聞かせしてもらったところで、ORTの文字なし絵本に自分でお話をつけました。英語で、口頭で話したのです!

それから少しして、高校1年の4月から多読をはじめた人が2年生の秋になってスタンダールの「赤と黒」の英訳本を読みました。

学校英語の常識では、ペーパーバックをさらさらと読むなどと言うことは、
必死で英語を勉強した学者がやっとできることで、普通の人は何十年たってもできないことになっていました。

たとえば、かつてある講演会でNHKの英語番組を批判したら、講演が終わってから一人の初老の紳士が近づいてきて、「わたしは13年NHKの英語番組を聴いていますが、無駄だったでしょうか?」と尋ねてくださいました。いま思うに、その方にとっても、ほかのほとんどの人にとっても、初老の年齢で13年勉強し続けて、それでもペーパーバックを読めないことは不思議でも何でもなかったのですね、当時の常識では。

それを多読はすっかりひっくり返してしまいました。今や社会人の年齢の人たちが、
数年で、英語の読書を楽しむようになっています。学校英語の常識の数分の1の時間でかつては夢だった「効果」を挙げているわけです。

今のところ、うまくマイナス要因の影響を最小限に抑えられれば(英検とか、TOEICとか、受験とか・・・)小学校低学年では半年、中学生で1年、高校生で1年半、大学生は放っておくとして、社会人では数年で、少なくとも読むことについては日本語とおなじ読書ができるようになると言えそうです。これは学校英語の常識どころか、世界の外国語獲得理論を覆す非常識な話です。いわば多読はそういうとんでもないことを引き起こすものと覚悟していろいろな現象をみていく必要があるようなのです。恐ろしくも楽しい!

さて、これ以上書くとどんどん細かくなって、読みにくくなります。
ここで、終わりにして、「メモ」を閉じることにしましょう。
みなさんの感想、意見を求めます。

なお、次回は、「読む」から「聞く、話す」へと勇敢に、何気なく進出していった人たちの話です。

なお、なお、「効果」と書く度に「 」に入れているので、うるさく感じる人もいるでしょう。ちょこっと言い訳を・・・
 わたしは「効果」という言葉をだんだん使いたくなくなっているのです。前はそんなに抵抗はなかったのですが、だんだん抵抗感が強くなっていて、このまま行くと「学習法」という言葉とおなじくらい使いたくなくなりそうです。
 今後どうなるかわかりませんが、はじめてこのブログを訪れる人にもわかりやすいように「効果」という書き方でまだ使いますが、いつかよい言い換えを見つけようと考えています。(効果という考え方自体が嫌だとすると、言い換えなんか見つかるわけはないか?)
 なお、こんな感覚的なことをほかの人に押しつける気は毛頭ありません。みなさんはどうぞお使いください。