多読の非常識 その壱に「Chico」さんからメール!

Pocket

渋谷のふらっといかが会(第6回目?7回目?)に参加してくださったChicoさんから多読の非常識のことでメールをいただきました。

*******************************

さかい@銀の蛇さん、おはようございます。
土曜日にレアな皆さんに囲まれて試験の恐怖をすっかり忘れる事が出来て、明日の試験にようやくReady!な感じです。実は、前回の試験の前もふらっと会があって、救われたのでした。

今日先生のブログを読んで、非常識と言われる多読を常識の塊のような人たちの前に立って講演をする姿を思い浮かべるだけでも、私に勇気を与えてくれています。まるで、険しいジャングルを先頭に立って歩いてくれているような。たくさんの天敵に襲われながらも、そんな事も楽しみながら、みんなで口笛吹いて一歩一歩歩いているみたいな。そんな仲間が出来てきているような幸せな感覚で一杯になりました。多読を通じてこんな愉快な仲間に出会えるなんて、4年前は考えてもいなかった。

そうでしょ? 
なんでこんなすばらしい人たちがいっぱいいるんだろうって、感動するでしょ?
きっとわたしたちは何か恵まれているのですよ。巡り合わせ? 運? 神に愛でられている? (というのは早逝のことだったりするけど)なににせよ、わたしはみなさんへの感謝の気持ちいっぱいです。

土曜日にあのカフェで先生に「多読と多聴ではどちらが効果的でしょう?」みたいな質問をしていた保護者の人たちがいらっしゃいましたね。その質問を聞いた瞬間にこども式多読の説明の難しさがわかったような気がしました。やはり、世の中成果主義、結果重視なんだろうな。どうやって最も短時間で目的地にたどり着けるかをみんな探ってるんだろうな。でも、そんな方法じゃたどり着いた時には、目的を失って途方にくれちゃうだけなのに。例えば、目的地に辿り着けなかったとしても、その道中が楽しくてたくさんの仲間と出会って、たくさんの思い出ができる方に私は価値があると思う。人生がゲームだっていうなら、楽しんだもの勝ちでしょ?勝ち組っていうのがあるんだったら、自分なりに存分に楽しんだ人の事だと思います。世の中の移り変わって行く基準に照らし合わせて、勝ったの負けたのって振り回されるのは、もうごめんです。
また、調子に乗って随分と偉そうに言ってしまいましたが、こんな事を言えるようになったのも全部多読仲間の御陰です。「理解してもらえなくたっていい」なんてうそ。強がりだったのが最近よくわかる。多くなくていいから、わかってもらえる人は必要ですね。

まったくわたしの思っていることと同じです。
たくさんの人と共感しあえること、というのはあきらめました。
何年そばにいたってわからない人はいるもんだ・・・
そういう人にわからせる時間はとってももったいない。
少し言えばわかる人、一言聞いただけで飛び立つ人がかならずいるとわかったのだから、そういう人たちのために時間を使いたい。

「わかってもらえる人がいる」という確信というか、自信は実に強いですね。
世間的なことでは、わたしはいまは何があっても平気と言えます。
多読を通した仲間たちは本当にわたしの生き方の支えです。

生意気ついでに言っちゃうと、銀の蛇のお話は、たくさん夢中でよんだり、聴いたり、話したり、書いたりしている状態をも現しているな~と思います。恐怖感は別として、気が付いたらしらない間に随分先に進んでた!って。
Momoが最近読んだ本の話をしてくれる時、銀の蛇に会ってると思います。残念ながら、彼女の本のネタ話に付いて来てくれる希有な友人はまだいないようですが、大丈夫。こんな私も見つかったのだからと思えます。これからも多読仲間の中に時々混ぜてもらって、彼女もきっと「いっちゃってる」、お気楽呑気で、図太く、楽しさに貪欲な人に育ってくれることでしょう。これで安心。

銀の蛇って・・・ そういうことだったんだ・・・

渋谷のオフ会にこなかった人にはわかりませんね、なんのことだか。

掲示板で「ふ~ん」さんがわたしが昔書いたエッセイを掘り出してくれました。
あんな風に少しずつ随筆風のものを書いてみようかなと思っているので、
そのうち銀の蛇のことも話題にしましょう。約束です。