表題をどうしたものか・・・
と考えましたが、つながりからいうと上の表題がいちばんかなと・・・
ちょっとおおげさにいえば、多読をはじめたおとなたちはみんな、多読以前の自分を
「捨てた」わけです。中でもわたしなぞは40年の英語学習と、30年の英語教師を捨てたわけで、大きな賭でしたね、いま振り返ると。
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多読クラスを通常クラスではじめたのはポンちゃんという学生の一言がきっかけで、その時は大きな賭だなんてまったく思っていませんでした。でもこの話は別の話題として、いつかお話ししましょう。
今回は、そうやって「捨てた」過去をどうするか、ということかな?
さかい@tadoku.org様、こんにちは。みぃみぃさんの3年間の努力&それに対するコメント。
感動しちゃいました。そう、そう、過去の行動は否定するのではなく、「気付く」為に必要であった事柄として捉えて行けば、人生に失敗はなくなるんだ。失敗だらけのような私の歩んで来た道も、そう考えると愛しく思えます。今でも暗中模索のような状態は変わりませんが、なんだか以前ほど不安じゃないのは、結果がどうなるかも何もわからないけど、つかめる何かがあることが分かってきたからかもしれません。それが何かが分からない事もワクワクする起因となっています。丁度、こども式を探っているように。また、また、勇気付けられました。ありがとうございます。
私も昔の英語日記を読んでみよう!Chico
そんな風に受け取ってくれて、とっても面映ゆいです。(古くないよね、この言い方? 読めるよね、みなさん?)
なんでみぃみぃさんの「過去」のことをあんな風に書いたかというと、
みぃみぃさんのメールを読んでいて、なんとなく、みぃみぃさんの「大間違い」が「愛おしく」思えたのですよ。
どうしてかな?
ひょっとすると、みぃみぃさんの3年間のひたむきさが伝わってきたのかもしれません。いや、はっきりはわたしにもわかりません。
とにかく、みぃみぃさんのノートとファイルはとっても大事なものだと思えたのです。
うん、よくわからないことを追究するのはこのくらいにしておきましょう。
せっかくの「愛しい」気持ちを大切にします。
みぃみぃさんとChicoさんとみなさんの「過去」があたたかい想いに包まれますよう・・・! (なんのこっちゃ?)
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