言葉の最小単位は文である--というのが、表題の記事のメッセージでした。
最初の記事でも書いたように、これはかなりわかりにくい話だと思います。
英文の分かち書きは大きな威力を持っているのですね。
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けれども、印刷するから分かち書きになりますが、話しているときの音声は
ほとんど途切れません。音声言語は「分かち書き」ではないわけです。
「言葉の最小単位は語(単語)である」という「常識」はその意味からも
疑う余地があります。
ま、それはともかく・・・
酒井先生、上田&昨日の薀蓄オフではお世話になりました。酒井先生が「言葉は単語のかたまりではないんだ。」ということをおっしゃっていたのを受けて、前から先生に
お話しようとしてためらっていたことを思い切ってお話しようとメールを書いています。
ありがとうございます。
私が英語の勉強を始めようと思ったのは今から17年前のことです。電子機器の製造メーカーで技術者として働いていた当時、何か特別な理由があったわけではなく、ただ漠然と
「これからの技術者には英語が必要かもしれない」と思ったから始めたのです。
それから多読を始めるまでの13年間。私は英語は単語力(語彙力)で決まるとずっと思って(信じて)いました。 聴くのも読むのも書くのも話すのも、すべて語彙力さえあればできると思っていたのです。
いや、わたしもそう思っていましたよ、つい最近まで。
実は今、私の手元に、私が単語力(語彙力)の習得にこだわり、辞書を引きまくった挙句に、今こうして見返してみると何一つ身についていないということが心からわかる、恐ろしい資料があります。
おー、それはぜひ見たいものだ!
Reading、と名づけられたA4サイズのノートが6冊。A4サイズのルーズリーフが綴じられたファイルが2冊です。 そこには、1997年11月から2000年の10月までの3年間、私が辞書と格闘し、和訳を書き出した新聞記事があります。
ノートには英字新聞の切抜きと単語とその訳、そして和訳が、ルーズリーフはインターネットからニュース記事をコピーしてそれに新聞と同じように単語訳と和訳をつけたものがびっしりと書き込まれています。さらに、2003年9月から多読を始めるちょうど半年前の2004年1月の間も、JapanTimes Weeklyを使って同じような「勉強」をしているA4サイズのノートが1冊あります。新聞記事は全部で237個です。政治、環境、カルチャー、スポーツ、生活・・・日々目に付いた面白そうだと思った記事を選んでいました。
うーん、すごい・・・
でも、わたしもそういう「コツコツ」をやった覚えはある。
ちなみに、どうしてこの方法かは自分でも覚えていないのです。どこかの英語学習雑誌で見たのかもしれませんしそうでないかもしれないです。
講演会で酒井先生が「辞書をひきながら英語と日本語を1対1で理解しようとするのは無理」というお話をするたびに私はこのノートの事を思っていました。
上田の講演会後、家に帰ってこのノートたちを引っ張り出してみました。酒井先生の言っていることは、見事に当たっています。
今そこにファイルされている新聞記事を見ると、4年間の多読の成果がわかります。わからない(日本語に訳せない)単語にはマーカーで印がしてありますが、いまもわからない単語もありますし
今はちゃんとわかっている(わかったつもりでいる?)単語もあります。でも、わからないところを全部飛ばしても、記事は理解できます。その後で、自分が書いた和訳を読むと、あきらかに不自然だということがわかります。辞書で引いた言葉の意味が違っている箇所が何箇所もあります。
当時はこれでも上手く書けていると思っていました。変ですね。
わからない単語だけ調べて、1文空白になっている文章がいくつかありました。その前の文書からすらすら読んできたら、何てことない文章でした。日本語に訳すことはできないけど、回りくどくなっても自分の言葉で「こういうことが書いてある」とはっきり説明できます。それより何よりすごいのが1997年のノートと2003年のノート進歩がまったく感じられません。
本当にです。
自分がやったことですから。ものすごい時間と労力をかけて「勉強した」ことですからそれを否定したくありませんが・・・
無駄でしたね・・・
無駄だったかもしれません・・・ わたしは時々みなさんの努力を無駄でしたねと
きっぱり言ってしまうことがあって、反省していますが、今回のみぃみぃさんの場合はあっさり「無駄でしたね」とはいえない・・・
大切にとっておいたノートやファイルが今のみぃみぃさんの位置を教えてくれたわけでしょう? 3年間の努力の本当の意味はそれかもしれません。いまこそ3年間の努力が実ったといえるかもしれませんよ。なんだかノートやファイルが喜んでいるような気がする・・・
多読をしている4年間の方が、Accuracyの面でもFluencyの面でもかなり力がついていると感じます。
そう思ったら、当時の自分の勘違い加減が笑えます。
今度お会いする時に、このノートを持って行きます。是非、一緒に笑ってください。
では、また。
みぃみぃでした。
いいえ、笑わないと思います。そのノートに感謝するというと変だけれど、
みぃみぃさんの真剣な3年間の証をじっくり見せてもらいます。
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