フクさんによると、コンピュータ言語にもいろいろな「方言」があるそうです。さまざまな種類のコンピュータ言語があるだけでなく、一つのコンピュータ言語の中にも、プログラムする人によって、おなじ「書き方」にはならないとのこと。
これはわたしには非常に大きなヒントでした。話し出すとひじょーに長くなるはずなので、この記事だけでどこまで書けるかわかりませんが、「メモ」ということでとにかくはじめましょう。
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自然言語の起源と発展
・・・などと言い出すと大仰な話ですが、それほどむずかしい話ではありません。わたしは言葉オタクだと見えて、「文法」のことをいつも考えています。ここ10年以上はどの自然言語にも共通な文法はあるのだろうか、ということが焦点です。つまり日本語と英語はずいぶんちがう言葉のように見えますが、名詞はどちらにもありそう・・・ 動詞もどちらにもありそう・・・
けれどもちょっと考えても、ほかはほとんどちがうような気がしますね。時間表現もちがうし、名詞はどちらにもありそうだけれども、日本語では単数・複数の区別はないですね。動詞はあるけれど、英語では動詞は文を作るのにほとんど必須の項目ですが、日本語には動詞のない文がいくらでもあります。(「きょうの夜はバイトです」とか。)
そうした違いはとりあえず置くとして、共通部分を探っていったら言葉の歴史を遡ることにならないだろうか、と考えています。その言葉の生成発展分化というところで、フクさんの話が大ヒントになるかもしれないのです。
わたしは一番最初の自然言語はごく少数の規則しかなかったのではないかと考えています。少数というのは二つか三つ、多くても十とか二十程度のことです。そうした簡単な規則がお互いに干渉しあって(?)複雑な規則ができ、それが時の経過と共にさらに複雑になっていったとします。その過程で一部の規則は捨てられて、そこから派生したほかの規則だけが残り、どの規則を捨てるか、どの規則が残るかで、さまざまな言語に分かれていった!
これはもう本当に妄想に近いのですが、その取捨選択、枝分かれの過程は例の「カオス」仮説に従うものではないかと夢想しています。ということは、原始の一握りの規則から現代の5000を越えるといわれる言語への道を辿ることは不可能だということだろうと思います。
人工言語の起源と発展
わたしは「一握りの規則からたくさんの言葉が生まれた過程を知ることをあきらめていたのですが、フクさんの話で、人工言語でもすでにたくさんの取捨選択、枝分かれが起きているらしいことを知りました。
そうすると、コンピュータ言語のいちばん大本にはいくつの「一握りの規則」があるのか知りませんが、とにかくそれはおそらく知られている数でしょう。(自然言語についてはチョムスキーとチョムスキーを信奉する人たちが40年以上も探していますが、見つかっていません。なお、一握りの規則ではなく、非常に複雑なたくさんの規則を探しているように見えます。)その知られている数の規則からどれほど「ちがったプログラムの書き方」が生じたかをつぶさに見れば、ひょっとしてわたしの言っている自然言語の起源から発展をなぞるものになっているかもしれない!
という夢物語です・・・
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