覚え書きのやうに
最近、(アンアンもそうですが)シャドーイングに関心が高まっているようです。
それで、シャドーイングについて、思いつくままに書きためていこうと思います。
第1回は「発音練習」について・・・
発音練習に意味はあるのでしょうか?
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シャドーイングは英語の音に慣れるのにとても効き目があるようです。
「ようです」と書いたのにはわけがあって、まだ効き目がはっきりしたとは
わたしは思っていないこと、
そして、シャドーイングが合わない人がかなりいて、その人たちには当然
効き目がないからです。
(どういう人には合わないかについてはまだ研究が足りません。)
というわけで限定的ですが、効き目があるとしましょう。
一方で、「発音練習」に意味がないことはほぼ明らかだと思われます。
そこで、今回はどうして意味がないか、というお話しです。
発音練習というと、th の音を出すには「上下の前歯の間に舌の先をはさんで、こするような音を出す」と言われて、一生懸命何度もその通りにやったりします。
「発音練習に意味がない」とは、そうした練習には意味がないということです。
なぜかというと、実際に使われている th の音は「上下の前歯の間に舌の先をはさんで云々」だけではないからです。
ほかにも無限に出し方があります。いかにも th らしい上のような出し方もあれば、n の音になることもあるし、まったく聞こえないことさえよくあります。つまり th の音には無限の変化があり、上に書いた出し方は単にその中でいちばん極端な形にすぎないのです。(th については映画「マイ・フェア・レディ」の中によい例があるのですが、それはまたいつか・・・)
そこで、わたしは「上下の前歯の間に舌の先をはさんで云々」という音の出し方を「極端形」と読んでいます。(このことはすでにいくつかの雑誌の記事で書きました。)みなさんが学校で習う「発音」はすべて極端形といっていいでしょう。
それを「標準形」とか「基本形」と呼ぶと、まるでそれ以外の出し方は「崩れた音」ということになって、できるかぎり標準形や基本形で「発音」することが望ましいかのように考えてしまいます。
そうではないのです。th の音には無段階の、無限の変化があり、その th の前後の音、その th を含む音節の重要さ、その音節を含む語のその文の中での重要さ、その文にこめられた気持ちなどによって音色が変わってくるのです。
th だけではありません。r も l も、ae も曖昧母音も、すべて無限の変化をします。
(あしたは10時に松本駅に行かなければいけません。
そこで、急に結論になりますが・・・)
したがって、極端形だけを「発音練習」するなどということは、
百害あって一利なし、なのです。実際、一生懸命発音練習をした人は「顎の開き方、口の形、舌の位置」などを懸命に調整しながら話したり音読したりするので、とても忙しそうです。
ところがおとなが幼いこどものごく自然なシャドーイングをそのまま真似すると、さきほどの無限の変化をそのまま身につけることができます(と言いたいけれど、まだ断言できないので・・・)ようです。
あらゆる音には無限の変化形があり、それを使えるようになるにはこどものように
「聞こえてきた音を繰り返す」しかないように思われます。
ただし、シャドーイング嫌いの人には朗報ですが、多聴だけでも、こどものようにシャドーイングする場合の何倍かの時間をかければ、外国語独特の音を獲得できる可能性があります。
どのくらい時間をかける必要があるのか、また学校英語の音がdのくらい邪魔をするのか、そうしたことはまだわかっていません・・・
シャドーイング覚え書きの次回を、お楽しみに!
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