志学塾とスギソーのことはすでに何度か、書きましたが、
多読は指導じゃなくて、支援でしょ! と、
東京都立杉並総合高校の英語の先生からあらためて強烈なメールをいただきました。
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酒井先生。
ブログ見ました。
支援研究会のこと、ありがとうございました。
酒井先生という存在(大げさですが 笑)、多読というものについてはだいぶ前から知っていましたし、2006年に都立千早高校の先生が全英連大会で発表したとき、一緒に発表の準備をしていたので、そのうち私も多読を授業でとは思っていました。でも、お金もないし、TTTさんと二人でひっそりと思っていたのに、TTTさんが異動するとなってやりはじめたらとまらなくなってしまいました。ちなみに今はタドキスト通信の他に生徒用タドキストニュースというのを作っています。いつもこどもの相手をしながらとか電車の中で書いているので手書きです。打ち直すのも大変なので今度〒でお送りします。
このメールをくださった「ひめ」さんとTTTさんが、強烈なのです。
校内向けに「タドキスト通信」というパンフレットを発行していて、
さらにスギソーの先生方がひじょーに変な人たちで、(全国でただ1校だと思いますが)ほとんど全校で多読に興味を持っている!
さて。「支援」ということばですが。
TTTさんは多読研究会でいいよと言っていたのですが、どうしても私は「支援」という言葉が使いたかったのです。
もともと私は日本語教育の出身なのですが、だいぶ前から日本語教育業界では日本語教育ということばを使わなくなりました。そのことに心を揺さぶられました。そして英語業界・学校業界は遅れているなと思っていました。
わたしも遅れておりました・・・
で、日本語教育に変わる言葉が「日本語支援」。どうしてその言葉にたどりついたか、というのをその人に聞きました。長くて書けないのですが、とにかく「指導」とか偉そうなことはやめよう。ということでした。で、どうやって日本語を学ぶ人を支援していくかというと、今まさに私たちが多読を通して伝えようとしていることと同じだと気がつき、いつかどこかで支援ということばが使えればと思っていました。
「指導とか偉そうなことはやめよう」??まったくその通りです。
掲示板では「指導する人も指導される人もいない水平的な関係」というようなことをいいながら、わたしは「指導」という言葉を平気で使っておりました。
商標登録とか、権利のようなものを主張するつもりはないので、多読支援という言い方、つかってもらっていいと思います。
多読支援の中に「多読の指導」というのは存在すると思います。生徒1人1人に声をかけてこの先どうしたらいいかなんてことを考えたりするような場面は多読の指導と呼べますよね。もちろんその時の気持ちは「指導する」というのではなく「支援する」ということですよね。けれど、支援という言葉には本を用意しておく支援とか、読み聞かせキャラバンの用意しておく支援とか、選択科目をつくってしまうとかさまざまなものが含まれすぎるので、支援の中のどこをいうのかによって区別をするのは必要ではないかと考えています。
実はわたしの多読クラスをずーっと見ていてくれる人が、ずいぶん前に「多読クラスの先生はシェルパだね」と述懐したことがあります。まったくその通りで、チョモランマに登るのはこどもたち、それを支えるのが「先生」なのですね。(あの時にヒントをもらっていたのに、気づかずに「指導」とか「授業」をいまだに使っていました。「授業」のほうはおかしいと意識しながら、でも通りがいいので使っていたのですが)
今後も、杉並総合高校・多読支援研究会ともどもよろしくお願いいたします。
PS 今度は多読キャラバンについても書いて下さい!
はい、書きますよ!
「多読キャラバン」は全国に広がるだろうと見ていますからね!
わー・・・ すごいことになってきた!!!!!
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