「tribird」さんから「脱学習法」についてメールがあって、それについて
質問したら、ブログで掲載したい返事が来ました・・・
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最初はわたしからtribirdさんへの質問です。
> で、tribirdさんは日本語の読書はしなかったほうなんですか?
よく掲示板の書き込みで絵本の話など出ますよね。
自分が読んだものや、子供に読み聞かせる話だとか。
僕が子供の頃、家の中には学校の教科書以外親の本も含めて、本が置いてあった
覚えが無いです。また、そんなスペースもありません。
で、最近母に尋ねたのです、「子供の頃絵本って買ってもらったこと無いよね」って。
本を買う余裕は無かったそうです。実際それは僕も分かっていたというか、あまり
親に何々買ってと言った覚えは無いですし。両親に読書の習慣もありません。
だから、子供の頃から、本は身近に無かったと思います。
わたしの両親とおなじです。ふたりが本を読んでいるところはみたことがない。
1冊だけ父が読んでいたのを覚えているのは、ドストエフスキーの「死の家の記録」ですね。本当に読み通したかどうかはわかりません。父は捕虜として収容所にいたので、だれかに勧められたと言っていました。
僕は、はっきりと自分では覚えが無いですが、電車などで、窓から見える駅名(もちろん
ひらがなの方でしょうけど)を声を出して読んでいたそうです。それで母は僕に
注意していたそうですけど。これでは、物語には行き着きませんね。
漫画は小6頃から、読み始めました。小説は高校に入って水滸伝とかを読んだり、少しは
絵なしの活字に触れるようになりました。20を過ぎたころ、本は何も最後まで読まなくても
いいんだって思うようになってから、ようやく少しは読むようになりました。
それも読むときは続けて何冊も読むけど、読まなくなるとパッタリととまります。
そんな調子でいままで、きました。
いまでも興味がない読み物は、まったく頭に入っていきません、ただ眺めているだけです。
ロゼッタストーンを見ているようなものです。
掲示板も同じです。特に改行されないで画面両端いっぱいに書かれたものは
スクロールするだけで終わってしまうことも多いです。
以前掲示板の書き込みでオックスフォード、ペンギン、マクミランそれぞれ
に対して、私はこの社のものが読みやすい等の書き込みがありましたが、そういう
違いも僕にはよくわかりません。
わたしはtribirdさんはどちらかというと「音の人」だと思っているのです。
なにしろ多読をはじめるよりもずっと前からシャドーイングをしていた!
で、そのことと文字を読むこととの「遠さ」と関係あるのでしょうかねえ? これからの研究課題ですね。
というのは、音源が手に入りやすくなって、「音の人たち」の特性(?)が表に
出はじめているような気がするのです。
いままで学校は文字中心でした。そのために不利だった人たちもたくさんいるような気がします。これからは文字中心の人も、音中心の人も、映像中心の人も、だれもが機会均等になっていくのかもしれません。
読書はしなかったほうかどうか、の質問は何を基準に言われているのかわかりませんが
ざっとこんな感じです。
tribirdさん、とらえどころのない質問に答えてくださって、ありがとー!
とらえどころがない一つの理由は、文字のこと、音のこと、映像のことを
「機会均等」にとらえる考え方がいままでなかったからだと思います。
でも、これは時間をかけて少しずつ明らかになっていくかな?
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