脱学習法 その2

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「脱学習法」と書いたご本人「くすのき」さんからメールをいただきました。
さっそくご紹介して、「多読はどこまで学習法か?」という話題を深めようと思います。

酒井先生。
あわわ、私の書き込みがブログに載っていてびっくりしました(@@;
でも「学習法だから入ってくる人がほとんどだと思いますが、そういう人たちには学習法を卒業する道を開拓しておかなければならない。」という部分を拝見して、多読の良さを訴え続けてきた方は、試行錯誤されて来たのだなーと、その苦労の程を改めて認識しました。

ありがとうございます。
ほとんどの人は「学習法」と思ってはじめるわけです。
くすのきさんのように5万語で「これは学習法ではない!」と考えを変える人もいますが、中にはずーっと学習法だと思い続けて、「お勉強」の姿勢のままという人もいます。
(反対に「あ、このやり方わたしに合っていそうだ!」と飛びついて、
そのまま学習法だとは少しも思わずに楽しく進んでいく人もいるようです。)
「お勉強」の姿勢の人は比較的成果の実感が薄いように思います。
(統計をとったわけではないです。)
そういう人たちに、「脱学習法」のヒントを探せないものだろうか?
そこで、くすのきさんの次の部分です・・・

何かのヒントになるかも、と、自分が何故「脱勉強法」と感じたのかをお伝えしますと、それは読書好きの私にとって、多読は単純に「読む本の幅が広がった」だけの事だと気が付いたからです。
私、もともと月に30冊くらい本を読む本好きなので、その中の数冊が多読図書と入れ替わっただけ、という感覚なんですね。だから「毎日一冊は多読図書を読む」なんて縛りは入れずに、読む気になったときに開いて、面白そうだったら読み進めて、という感じでやっています。正直なところ、英語を勉強するぞ!という気持ちは一切なくなってしまいましたw これぞまさしく「本好きの、本好きによる、本好きの為の英語習得法」だと感じているのですが……、これってある意味、多読の限界にも繋がるのでは、と感じています。
勉強嫌いでも読書好きなら、多読は続くんだと思います。でも逆に、そもそも読書があまり好きではないという人は、どんなに楽だよと言っても多読に食いつかないか、始めてみても脱落しやすくなっちゃうんじゃないかと想像するのですが、これまでの脱落者の傾向にそういう所はないですか?

その傾向については多読指導をはじめたごく初期から探ってきました。
読書好きの人が多読に向いているのではないかという「疑い」は当然ありましたね。
で、いろいろ注意してみた結果、わたしはそうではなさそうだと考えています。

入り口は勉強法なのに、中身は単なる読書。その読書を楽しむ素地を皆が皆もっている訳ではないので、いろいろと難しい所もあるのではと想像します。
……なんだか多読に否定的なことばかり書いてしまって申し訳ありません; でも、資質を多少選ぶ手法だからこそ、もっともっと「本が好きなら、多読においでよ!」とアピールしても良い気がするんですよね。今の多読って「勉強の為に読書しよう」という感じで……、言語習得法の方面から入る人が多いのだから当然「勉強の為の読書」というアピールの仕方になるのでしょうけれど、「本が好きなアナタ、本を読むついでに英語に慣れてみませんか?」的な入り口があっても良い気がするんですよね。

ごく初期にスーパー中学生(学校で習っている英語をはるかにこえる本を楽しんでいた中学1年生と2年生)6人に面接調査をしました。
その結果、6人の間に共通点はなかった・・・
つまり人を選ばないようだと考えられました。その後も観察を続けていますが、
ほとんどどんな人にも通用する可能性があるといまも考えています。
ただし、音が優勢の人と文字が優勢の人はいるようです。
音が優勢の人(定義はまだありません。いい加減な呼び方です)には
多聴という手が最近可能になってきました。それによって、ほぼすべての人を
対象にできるのではないかと考えています。
音と文字の両方の入り口が用意できればおそらく言葉への入り口としては不足ないのでは? 言葉の能力が資質を選ぶようだと、言葉を使える人と、使えない人が出てきてしまう??それでは万人の意思の疎通を図るはずの言葉の役目が果たせないので、言葉は「資質」とは関係がないようにできている?)
ということは、国語の成績や読書好きかどうかとも関係ないようだったということです。
実は多読がうまくいった最初の生徒はわたしの甥でしたが、ペーパーバックを10冊くらい読んだところで、わたしに「おじちゃん、おれ、日本語で読んだ本より英語で読んだ本の方が多くなったよ」と述懐していました。けれどもその後甥は英語の本を読まなくなりました。わたしは英語の読書が普通になって、日本語の読書に近づいたのではないかと考えました。
逆に「読書好きだから多読がうまくいくのでは?」という考えを表明する人はいままでのところ読書好きの人が多いようです。
ま、いまのところの結論を一言でいえば、英語の読書はいつか日本語の読書に次第に近づくけれども、それまでは読書好きかどうかは関係なさそうだ、というものです。そして音優勢の人には今後多聴の道を切り開く・・・

うーん。上手く纏められなくて、重ね重ね申し訳ないです。
夜も更けてしまったので、尻切れトンボですがここまでで失礼します。
それではでは!
Happy Reading & Listening !!

くすのきさん、ありがとうございました!
こちらももう朝です。
尻切れトンボで、おやすみ、ぐぅ・・・