数年前にわたしが「SSS英語学習法研究会」の顧問を辞めようとしたときだったか、
「近眼の独眼龍」さんが言った言葉はいまも多読の普及にとって大きな課題だと
考えています。
「学習法でなかったら多読をはじめなかった。単なる学習法だったら、応援しなかった」
ま、文字通りではありませんが、こういうことを言ったのです。
レイモンド・チャンドラーみたいな見事な表現であります。
このところの掲示板を見ていて、このことをしきりに考えています。
学習法を入り口とするのはいいとして、どうやってそこから卒業してもらうか?
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独眼龍さんだけではないでしょう。ごくごく少ない例外を除いて、
ほとんどの人は多読を学習法と思ってはじめるでしょうね。
だから、学習法と思ってはじめる人を排除することはむずかしいでしょうね。
逆に、いつまでも学習法と考える人はいつか興味をなくすに違いありません。
「くすのき」さんの場合はわずか5万語で「多読は脱学習法」と感じ始めた!
酒井 >多読は何千人という人たちが作ってきたのですね。
酒井 >これはすごいことです。「学習者が作った学習法」なんて
酒井 >有史以来はじめて? あ、いや、学校制度ができてからはじめて?
酒井 >(だから、多読は学習法ではないと、ぼくは思うのです。)
そうですね。始めは私も「学習法」としての多読に興味を持ったのですが、
実際に始めてみると、むしろ「脱学習法」なんだな、と感じています。
でも身近な人に「多読面白いよー」と勧めても、
英語というだけで「学習法」と捕らえられて、敬遠されちゃうんです。
今は興味を持った人だけがたどり着ける多読という存在が、
誰でも知ってる、英語を身につける為の選択肢の一つになったらいいな、と思います。
学習法だから入ってくる人がほとんどだと思いますが、
そういう人たちには学習法を卒業する道を開拓しておかなければならない。
一方、学習法だからいままでと同じように苦労しなければならないのだと
思って敬遠する人もいるでしょう。その数はかなり多そうな気がする・・・
そこで、「うだきち」さんや「ぴ~ママ」さんのように、
何気なく誘う必要が出てくる。というより、「誘わない誘い方」が必要・・・
ただし「学習法はいや!」という人たちははじめから学習法を「卒業」しているかもしれないので、その点は話が早いかもしれない・・・
何千人という人が作った幅広く奥深い道をもっと入りやすく、楽しくするにはどうしたらいいだろう?
みなさんからも意見を募りたいと思います。
掲示板でも、メール・フォームでも・・・
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