反応第4弾です。(第3弾?)
もう一度お断りしますが、これは多読的18禁です。
多読がまだ成年に達していない人、つまり一人歩きはまだ先で、
だれかに手助けを求めたい段階の人はいまはまだ読まずに、
後の楽しみにとっておいてください。
そして一人歩きの意味は多読的に未成年であっても、
だれかに「英語を教えてもらう」なんてことは思ってもいかん、
ということでもあります。
たとえば「islaverde」さんなんていう人は最初っから一人歩き、
生まれたその足で衆議院の投票に行ったという伝説のある人・・・
先生、ブログの記事楽しかったです。
asですかあ、ノーマークだったなあ。(ちょっとくやしいぞ)
くやしいとおもうところが言葉オタクですね。
でもねー、asでもどんな単語でもそうだと思うのですが
それが益になるか害になるかどうかというのは、そういう知識そのものよりも
「自分で気づくかどうか」という点だと思うのです。
こういう記事を読んで、このasの知識に「頼って」本を読もうと
するならば、それは辞書と同じく「害」ですよね。
(それは辞書の定義がヘンで、こちらが正しいとかいうこととは
関係ないんじゃないか、と)
まったくその通りです。
授業でも、学生に
「みなさんがいままで習った in と、自然な英語の in はこんな風にちがうんだよ」
と話をすると、「先生、ほかにもそういう学校英語のまちがいを教えてください」という声が出てきます。
そうじゃあなくて、
「そういう違いは自分で見つけていってね、(できれば、頭真っ白からはじめて、
そもそも間違いを忘れられればいいんだけど)」
っていうのがわたしの言いたいことなんですね。
多読ってなんでも自分でつくっていかなきゃいけないじゃないですか。
(と比較的情報の少ない時期に始めた私はそう思っていたけど。)
この本は面白いかつまらないか、自分のレベルに合っているか、
次に何の本を読めばいいのか、ここで投げるべきかもうちょっと読むか。
この文はこういう意味じゃないか、とか。
そして正解はないんですよね。自分を信じて進んで行くしかないと。
そういう意味では多読はとっても大変、チャレンジ、試練。
人にあれこれ言われたくない私にはぴったりだったとも言いますが。
そう
でも最近はもー「多読」っていうできあがったものがあると信じて
自分で切り開こうとする人が少ない?
そういう人を見かける度に信じるのは多読じゃなくって
自分じゃなきゃ効果はないんですよと(言いたいんだけど言えない)。
言ってるでしょ、いま!
だから掲示板でなんでもかんでも親切に教えてあげるのも本当の意味ではどうかなあとか
オフ会でも私はけっこう冷たいかも。
(と前にも書きましたね)
それでいいと思いますけどね。
第一「多読指導三原則」は「教えない、押しつけない、テストしない」なんですから!
全然蘊蓄ばなしじゃないですね。すみません。
だからという訳ではないのですが
actually「てゆうか」につづいて第二弾
seriously「まじで」
physically 「じっさいー」(「い」にアクセント)
どうかなあ?
これおもしろいから見つかったらメールをください!
究極の「愛の蘊蓄」だな
あ、先生が沖縄に行かれたその日、わたしも那覇に
いたようです・・・・それだけです。
ではでは。
islaverde
それはないのではないか?
わたしはパラオさんと、ach758さんと、志学塾のSさんとOさんと
楽しく深夜2時だったかまで、とても洒落たレストランでゆっくり語らっておりましたが、あそこにislaverdeさんもいたら、どんなに楽しかったか!
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