Fluencyはやめにしますが・・・ 3

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fluencyでわたしが言いたかったことを一言でいえば、
「正しい」なんてことは最優先ではない! ということです。
まずはとにかく手を挙げて話を」切り出してみる。
相手の顔を見て、伝わっていないようだったら、何かほかの手を繰り出す・・・
こちらが「伝えよう」という気持ちを途切れさせないかぎり、
相手の人は耳を傾けてくれます。
「正しく言おう」なんて思って頭の中で文章を組み立てはじめると、
おそらくその途端にわたしたちは「内に籠もってしまう」でしょうね。
相手の顔さえ見なくなるかもしれない。
それは「伝えよう」とする気がないと見られるかもしれない。
さて、そこの「気持ち」をさらに押し進めた意見が「Chico」さんから来ました。


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酒井チョーロー見習いさん、おはようございます。私は、accuracyよりsoulfulnessと思います。日本人の英語(海外などで活躍してる方も含め)は硬い!不自然!ロボットみたいという批判が多いのは、これが欠けているからのように思うからです。skillとかじゃないな?。

だいさんせー! 
これは大きな声では言えないのですが、
(というのは、また大きな反響を呼ぶかもしれないので・・・)
4技能という考え方はどーもなあ、と思います。

話す事も最初は、Soulfulness, passion, creativity, imagination.みたいなstorytellingのskillみたいな事が大事で、その後にaccuracyもついてくると思います。
南南南会に参加して、日本語を入れると肩の力が抜けてよいな?と言う事を発見し、早速授業に取り入れた所想像以上に活気つきました。私は、あくまで英語で通せば、日本語に引っ張られる事もあまりない。まー、多少うるさいくらいが良いです。何てったって、何かを思いついた時のこどもの目が輝く!英語じゃなきゃ!って思ってたから、言いたいけど、
言えなかったんだな?と思いました。もっと、spontaneityを大切にしようと
思います。
あ?、spontaneityってのは、好きな言葉だな?。
では!

もしかしたら言葉は単なる道具以上のものかもしれないと思うのです。
道具だと考えると「スキル」という言葉と結びつきます。
みなさんが「言葉は単なる道具だ」ということがあって、
そう言いたい気持ちはとてもよく理解できます。
ただの道具と考えると、えらそうだった「英語」がすこし御しやすいような
気がしてきますよね。
だから最初は「言葉はコミュニケーションの道具にすぎない!」と
啖呵を切って、
気楽にはじめましょう。
でも、いつか言葉はどうも道具以上のものらしいと感じてほしいような気がしないでもないです。というか、道具だとしても練達の職人の持つ道具と考えてほしいですね。
「単なる道具」はどこでも買ってくることができます。
(その気軽さが外国語学習の敷居を低くしてくれるわけです。)
でも、職人の道具は職人の腕や手の延長だそうです。
生まれてきたときから持っているわけではないけれど、
職人の仕事の仕方、技、ひょっとすると暮らし方、行き方と
分かちがたく結びついている・・・
そうすると、気軽に買ってくるわけにはいかないですよね。
言葉も、自分が育て、言葉が自分を育て、どこまでが
共通な道具としての言葉か、どこからが自分のものか、
判断がむずかしいものだと思います。
(これが言語学者亀井孝さんお得意の「一人一人の方言」
 というやつですね。)
言葉に大事なのは soulfullness というChicoさんの気持ち、
そういう意味でとてもよくわかります。
わたしもいつか、酒井の英語は変だけれども、独特の響きを持っていると
言われるようになりたい。ダライ・ラマ14世のようにね・・・
そして、soulfullness を優先すると、日本語が出てきても構わない!
「英会話は日本語禁止!」という常識を多読的おしゃべり会から
変えていきましょう。