英語育児はいかがなものか・・・ 反響?

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大反響であります、英語育児・・・
そうかもしれないと思ったので、いままでは書きたいことを抑えてきましたが、
「マサミ」さんのメールで「よし、これでわたし一人の意見ではなくなる!」と
爆発してしまいました。
まず実にもっともな「YYY」さんのメールから・・・


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先生、おはようございます。
くたばれ、英語育児、読ませていただきました。
子どもたちが苦しんでいる、まったくその通り。

・・・と、まずはわたしの書いたことにうなずいてくださって・・・

なんですが、お母さんに向けて、頭っから、あなたがやっている育児はおかしいと決め付け、切り捨てることは、しないでくださいね。
少なくとも、先生に引き寄せられてくるお母さんというのは、たとえ子どもを先生が嫌いな公文に通わせていようとも、迷いがある、つまり変わっていく可能性があるんですから。

こうして、いけないことはいけない!と言ってくれる・・・
持つべきものは友だちです・・・

漠然とおかしいのではないかと思いつつも、
まわりと同じにしておくのが、日本での上手な振舞い方ですよね。とくに安定した生活を手にしている人ほど、
そこからはみだすことには躊躇する。
主流に乗らなくても生きていける人間になるように、なんて願う私は、ある意味、逸脱者。

実はわたしは多読に惹かれてくる人たちはみなさん逸脱者なのではないかと・・・ それで、もう逸脱してない連中なんか、ほっとくぞ!というつもりでマサミさんへのコメントを書いたのですが、YYYさんは巧みに「うまく引っ張れば主流から逸脱者になる人たちを。こちらからはねのけてはいけません!」と説諭してくださったのですね。
ありがたいことです・・・

学校教育も、的外れだなあって思うんです。
詰め込みにしろ、ゆとりにしろ。
知識なんて、もっと技術が発達すれば、携帯みたいに持ち歩けるものじゃないですか。なのに、なんで年号や化学記号を暗記するの?なんで円周率どこまで覚えるかにこだわるの??
感性や好奇心があれば、ゆたかに暮らしていけると思うんですけどねえ。

もちろんそうです。文部科学省の役人なんていうのは的外れが
服着て給料もらっているようなもので・・・
なお、文部科学省が的外れだとすると(実際そうなのですが)、
わたしたちが「主流」なのですね、本当は。
逸脱者は向こうなのです。
ここのところは(わたしの友だちがいってましたが)G.K.チェスタートンがすでに喝破しておりまして、「このごろの異端者はだらしない。自分から異端だ異端だと言っておる。昔の異端者は自分こそ正統と信じて疑わなかった」と。

ところが、その感性を磨く機会が少ない!自然のなかで遊び、子供同士でたわむれ、実体験を重ねてほしいのに。
息子はサッカー野球以外は、友達の家でカード遊びかWiiみたいなゲームしてます。それしか遊びようがないんです。ゲームするぐらいなら、塾なり習い事なりさせといたほうがまし、と考える人がいてもおかしくない。

それとそっくりの場面をたたしも目撃したことがあります。
男の子二人が怪獣の形の「消しゴム」を間に置いて、
二人で闘わせるのかと思ったら、それぞれ別々に左手と右手の怪獣を闘わせていた・・・

この前、小学校の読み聞かせで、つくし、の本を読んだんですが、この辺だと、どこにつくし生えるのって質問したら、ポカーンとして誰一人知らない。散歩してみると、うちの周りでも、けっこう道端とかに生えているものなのに。
ともかく、母親を英語育児に走るのは、
効率、成果、成長、といった価値観から大転換できないでいる社会が悪いんですから、見捨てずに、
他に大切にすべきことがあることを、話してあげてください。
では。

ありがとうございます。その通りです。
そこでさっそく記事のタイトルを書き換えました。