多読と程よく付き合う・・・

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islaverdeさん
最初は「停滞研究:読み疲れの場合」という題を考えたのですが、
islaverdeさんの場合はそういうのとちょっとちがうな、と思って名前を変えました。


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去年のはなし
2008年 03月 29日 (土) 13:04 | 編集
去年は多読的に、本当に読めなかった年だったと思う。
正確にいうと、去年の3月から、ついこないだまでの一年間。
去年のはじめ、1000万語を目前に空いた時間は全て本を読んでいました。忙しい日も、ヒマな日も。
語数にこだわってた方ではないけど、大きな区切りを前にしてうれしさがこらえきれずついついペースが加速度的に速くなってたんですね。未読本を積み上げて、よしこれを一ヶ月で片付けようー!と腕まくり。で、本当にできたんです、あの時は。動機は少々不純だったけど、結果的には読めたから良し。(なのか?)
本って読もうと思えばいつでも読めるんです、隙間時間の5分間だって、バス待つ間の数分だって(バスに乗ると私は読めないんだけど)疲れてたって寝る前に15分、と。
そしたらそれが見事な落とし穴で。生活に余裕がなくなって、読書に追いまくられる毎日。
リラックスするための読書のはずが本末転倒。
気がついたら2ヶ月で100万語というペースになってて、普通の生活もある身にとってはやっぱり速すぎたようです。そろそろ読書体力の限界に来てるなあとうすうすは感じていたけど、ハリポタ7巻まではーと自分をごまかしながら読書を続けていました。
そして7月の発売日。多読的にはつらかったけど、これだけは読みたかった。
ハリポタシリーズは、多読仲間有志と、発売と同時に読み始めて読了した人から感想兼ネタバレメールをやりとりするというサバイバルレースが恒例になってたんですが、これが本当に楽しいんです。否が応でも読まなきゃいけなくなるし。
でも体力がもう限界なのに、無理やり走っているのが自分でも分かるんですよね。ストーリーは面白いから読み続けることはできるんだけど、スピードが全然出ない。
みんな次々に読了していって、いつもはけっこう読むのは早いほうだと思っていたけど、
読了しました?というメールを見てはああーいいなあ、みんな・・・と。でも追いつくのは無理というのは分かってた。
(この辺の遠慮のなさは本当に感謝なのです。自分のことが客観的に見れるので)
なんとか読み切ったものの、案の定、その後ぱったり本が読みたいと思わなくなって。もう脳が受け付けなくなったという感じです。

マイペースのislaverdeさんにして、読み疲れがあるんですね・・・
これはもう、読み疲れはだれにでも、いつでもあると思った方がいいなと、
いまさらながらわかりました。それで、ブログにもらったわけです。

未読本の山を見てると頭が痛くなってくるので、見えないところにお片づけ。ついでにバーゲンで買った、もう絶対読まないだろう本、黄色くなりかけてる本もすべて古書店にお引き取りいただきました。アマゾンもチェックするのをやめて、カゴも空に。もちろん買い物禁止令も。
そして何を思ったか、片付けてる途中で見つけたハリポタシリーズを読み直そうかと思ったのです。
私、読書中毒というよりは活字中毒なのかもしれないと思うことがあって。さすがに電話帳は読みませんが、そこら辺にあるもの、説明書とかお菓子の外箱の原材料とか、目に付くものは何でも本能的に目で追う癖があるようなのです。
ハリポタは翻訳を読んだし、映画も見たしオーディオを聞いた巻もあるし、ストーリーも覚えてる。新しいものを読む気にはなれないけど、何か活字を追ってないと落ち着かない私にはちょうどよかったみたいで。
ハリポタを取扱説明書と同列に扱われるとローリングさん怒るだろうなあ。でも私にとっては次にどうなるかという展開を楽しむのが読書で、そのせいか再読はほとんどといっていいほどしません。(何度も読むことで違った味わいが出るような深い本のレベルにはまだ到達していないと思うし。)
そして一巻から読み始めました。分かっている筋を追うのはエネルギーが少なくてもできるんですね。無理せずできる、いわばリハビリみたいなものかな。
よしそれならとことんハリポタだ?と決め、読んだり読まなかったり、半ページで終わった日もあるし、超低空飛行ながら活字だけを追う日が続きました。
これが変に心地よく、もう前のようにばりばり読書はできないかもしれない、でもまあそれでもいいやと他の趣味に手を出したりDVDを見たり。そしたら字幕なしにはまってしまったりと思いがけない収穫もありで。

そうか、停滞もペーパーバックに届く途中で起きるっていうものではないのですね。
いつでもどこでも(?)だれにでもある・・・ 考えてみればそりゃそうだ。

そして今年の2月。
4巻を読了した頃に自分の中で気分がちょっと変わったなと気づきました。
何か違うものが読みたいなあーと。
そしたら読みたい本が一気に出てきました。今までの分を取り返すとでも言う感じ。
その頃タイミングよくオフ会があって、そこで火がつきました。
アマゾンであっという間に1.5エリエールお買い上げ。(なつかしい言葉・・・)
最近ペースが復活してきたなあと思うし、あれもこれも読みたい、とまた思えるようになりました。
とはいっても、7巻も2週間足らずで読んでる訳だし、この一年で100万語近く読んでる訳だし、どこが不調だ、とこれを読んで半分怒ってらっしゃる方もいるかもしれませんね。
でも、この一年は、楽しい読書とはほど遠かったのです。
それに多読の基準って人が決めるものじゃないと思う。楽しいか楽しくないかは自分しか分からない。
また落とし穴にはまる?全然反省がない?
でも読みたいから読む、読みたくないから読めない、これはコントロールできそうもないなあー。でもできるようにならなきゃいけないのかな。
今年の目標は「多読と程よく付き合う」、私にとっては永遠のテーマかも。

たしかに、読み疲れや停滞がだれにでもいつでも起こるものだとすると、
永遠のテーマっていうことですね。こういうことがわかってくるというのも、
多読の成熟を物語るのか?
元の記事は
http://islaverde.blog76.fc2.com/blog-entry-103.html#comment42
です。
3月26日のJacky Daydream評もどうぞ!
Jacueline Wilsonのことはこれで言い尽くしているんじゃないかと
思います。
だから、まだこの人の本を1冊も読んだことのない人は読まないでください。
そういう人には4月3日のブログをおすすめします!