多読と文法:またまた「islaverde」さんのブログから・・・


「多読とUnlearnと文法と」・・・鋭いislaverdeさんのブログから「多読と文法」関係を紹介します。

多読とUnlearnと文法と
2008年 03月 08日 (土) 22:40 | 編集
辞書の弊害がどうだとか、学校英語のUnleranだとかいう議論は、私にはとっても贅沢な悩みに思えてしょうがないのです。お金があり余ってて、どうやって使えばいいの?って言ってるようにも聞こえる。
本当なんですってば。
だいたい、日本語の一部なんてもう英語になってるようなもんでしょ?コンプライアンスとか、ロジスティクスとか、日本語だというのに知らないって。あ、ロジスティクスは一応は知ってるつもり・・・だけど自信ない。
英語で一から十まで数えろと言われたら、小学生だって(最近は幼稚園児もか!?)言えるだろうし、家はhouseで机はdeskだっていうのも常識、知らなかったらびっくりされる。というか人間扱いされない?
アップルという発音は間違いであぽーと言いましょうとか、ボールペンは和製英語なので英語では通じませんとか、それぞれは正しいんだろうけど、そんな重箱の隅っこをつつくようなことばっかりして、リンゴがアップルだって知ってることが既にすごいことなんだって。
・・・・とみんな気づいたほうがいいんじゃないかなあ。
スペイン語。学生時代に嫌というほどさせられました。卒論もスペイン語で書きました。よく書けたもんだ。
卒業して数年(と少し)、スペイン語とまったく縁のない生活を送りました。
そしたら、一から十までスペイン語で言えなくなってました。
want とcanの違いが分からなくなっていました。スペイン語で言うとpoderとquerer。
さすがにこれはまずいと思い、趣味としてスペイン語をやることにしました。
(そして多読の道へ)
英語と全く縁のない生活をしている人はいっぱいいると思います。それでも一から十まで忘れるとか、信号機の色が言えなくなるとか、絶対ありえない。
日本って本当に英語だらけで、知らないうちに英語漬けにされてるんです。いや、なんで使えないかは別の問題なんだけど、知識量だけは相当なもの。ホントに、なんで使えないのかしらん。
本気でUnlearnしろと言ってんのかーと言いたくなるのはこういう時。
(ま、unleranもlearnもやろうと思ってできるものじゃないですけどね。自然になる、またはならない、のどっちかです。)
そんな根本的なことから忘れてしまったら絵本だって読めないはずなのに、受験英語の弊害だけ忘れるなんて都合のいいこと言ってるなーと毒を吐いてみたり。
こんなに英語に囲まれて生活してんのに、英語と意味が違う和製英語だけUnlearnなんて無理でしょー。
Unlearn にこだわるより、とにかく多読して量で圧倒してしまえば、忘れようが知識として残ってようが、変な知識は負けると思います。量で。アップルがリンゴだというところから始めたら絵本が読めるようになるのはいつになることやら。そういうのはそのまま生かせばいいんじゃないか、と。
とここまで書いて気づいてしまいました。今までは多読と同時に、Unlearnっていう別のことをしましょう、という感じでとらえていましたが、要するに多読をするイコールunlearn、なんだな、きっと。
(気づくの遅すぎ?)
スペイン語、ゼロから始めたい人にはどうしたらいいのか、いまだに悩んでます。リンゴ、ぼく、空、うれしい、泣く、そこからスタートなんです。いや、abcからか?(アーベーセーです)。
Blue という言葉は日本語の青、っていう意味じゃありませんよ、微妙に違うところがあるのです、という話はとっても面白いのだけど、でも寒色系の色の名前って分かるだけストライクゾーンです。スペイン語で、考えたあげく、トラかな?と思われるよりずいぶんマシ。しかもそれは、青いトラって話じゃなかったはずだ・・・(青はazulといいます)。
一応誤解のないように、リンゴをアップルというふうに一対一の訳語で覚える方がいいと言ってる訳では全くありません。そういう知識がもうできてしまってるんだからしょうがないじゃん、くらいの意味です。
Unlearnできるしあわせとでもいうか、曲がりなりにも本が読めるのもunlearnできるおかげ。それさえできないゼロの状態を1に持っていくのがどれほど大変か。
そして文法の話。
せっかく多読に出会ったというのに、ここに至って文法の勉強をしましょう、というのは論外でしょー。文法そのものが好きならやれば、って思うけど、役には立たないなあ、きっと。なんで文法やればスムーズに理解できると思うのかなあ。
英語って文法なんて言ってるけど動詞の活用とか、冠詞とか、消えてるようなものでしょ。文法なんて大そうなものなんてないんじゃないんじゃないかな。少なくとも普通の本を読んでる限りは。
(だから全部暗記してしまおうという人が出てくるとか、却って分かりにくくなってるとか問題もあるんだろうけど。)
Whatの次にdoが来て、あなただからyouで、次に動詞の原型で?と頭をフル回転させて文章のようなものをつくることはできます。英語なら。
短期の旅行で切符を買ったりする位だったら、それでもいけると思います。それで十分な人は、それだけでもいいし、むしろ手っ取り早いとも思います。
昔はそれがすごく速く、正しくできるようになることが英語ができることだと思ってたなあ・・・(遠い目)
言葉をそういう記号的なものとしてとらえている人は文法的アプローチ、母国語のように外国語を身につけたい人は多読、ということになるのかな。でもおなじ英語、といっても目指しているところは全く違っていて、その違いに気づいていないから無意味な議論が繰り返されている、ような気がします。全くかみ合ってないんですよね。
でも、文法からいく方法は限界があります。言葉は時間とスピードがあるからです。今までの方法では、ペーパーバックだって読めない、ニュースも聞けない、映画なんて夢のまた夢。生の英語のスピード、量は頭の中で文法を組み立てて理解する時間なんて与えてくれないんです。ましてや辞書をひこうだなんてとんでもない。
おまけ。

これを読んで、islaverdeさんはただ(ただ?)鋭いだけじゃないと思いました。
どこかで碇がしっかり海の底にひっかかっているのです。
海面は荒れても、揺れても、自分がしっかりと動かない・・・
なんのことかわかりにくいかもしれませんが・・・
元となったislaverdeさんのブログ記事はここです:
http://islaverde.blog76.fc2.com/blog-entry-90.html