仏教典の多読!?

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まさか仏教学にまで広がるとは・・・!
うだきちさんは仏教学専攻だったそうです。
それでサンスクリット原典の漢文の経典を読まなければならなかった。
面倒なことがいやだったうだきちさんは二つの原則を建てた。
 1.ノートを作らない
 2.辞書は調べない
さて、その結果一体どんなことが・・・
うだきちさんのブログの一部を引用します。
くわしくは最後にあるURLを訪ねてください。
驚きますよ!

 細かく分析しながら読む方もいるのですが、
サンスクリットを「なるだけ やりたくない」と考えた私は 
とっとと諦めて
 「ノートは作らない。辞書も調べない」
で とにかく どんどん読む、ということを続けました。今思えば「経典多読」です。
大正大蔵経、という 経典・伝記・仏像の作り方まで・・・
仏教の書類(?)をまとめた「群書類従」のようなものがあるのですが
暇さえあれば それを開き、コピーをとって電車の中や 自宅で読む、ということを続けました。
現在手元に50ほどのコピーが残っていますから
100や200の経典や伝記を読んだのではないかと思います。
 一年が経過したころ、私は ほぼ自由に 漢文を読めるようになりましたし、
一行だけ抜粋されても どこからの抜粋か、
見極めることができるようになっていました。
教典の成立背景によって 文法や語彙が異なるので
それを見つけられるようになったのですね。

1行だけ抜粋されてもどこからの抜粋か見極められるようになった・・・
ここに分析的ではない、総合的な迫り方の底力が見えるように思います。
人間の意識できること、分析できることなんて、
人間の力全体に比べたら「どんだけ?」小さいことか・・・
さて、うだきちさんのURLです。
http://dhatu.blog115.fc2.com/blog-entry-331.html
樽に注ぐ、溢れるについて、力強いヒントをくれます。