辞書引きについて

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多読でいつも問題になるのは辞書の使い方と文法の有効性です。
(ほかにもいっぱいありますが・・・)
SSSの掲示板で「辞書の引き方」が話題になりました。
わたしは少々時間をかけて、こども式サイトでも利用できるように長々と返信を書きました。
これが決定版というわけではありませんが、いわばコンピュータ・ソフトの最終ベータ版として、ブログでも再掲します。どうぞ参考になさってください。


「こるも」さんから「辞書を引くと気持ちがいいことがある」、それなのに辞書を引くことには害があるのでしょうか?という主旨の質問が寄せられました。
それに対して、オレンジピールさんさんが、ぼくから見ると、すばらしい返信をしてくれました。そこで、これを機会に辞書引きについて、私の考えを少しまとめてみました・・・
まずこるもさんの質問です。

〉私はまだ100万もいっていないのですが、辞書はたまに使います。
〉一つの単語がわかったときに、その前後3行くらいの意味がぱあっと解って気持ちがいいからなのですが、先生のおっしゃる「辞書引きの快楽」とはこういうことなのでしょうか。
〉そしてそれが、どうして良くないのでしょうか。
〉自分のやり方が良くなかったのかなあ、と思って、出てきてしまいました。
〉よろしくお願いします。

それに対して、わたしの返信です。

こんな大事な質問を見落としていたなんて・・・
「辞書引きの快楽」については(そういう表現ではありませんが)
いままでにも何度も書いていて、さまざまな答え方をしています。
きょうはちょっとそれを思い出せるかぎり羅列してみようと思います。
オレンジピールさんは気を遣ってくださったとおり、
こるもさんのやり方がよくなかったかどうか、
それは簡単には答えられません。
でも、実はぼくの考えは非常に簡単なのです。
つまり、「辞書に頼らなくなったら、引いてもいい」・・・
掲示板の久子さんがこども式サイトの方にメールをくれて、
おなじことを書いているので、このことはある程度
掲示板を読んでいる人たちには広まっている考え方かもしれません。
けれども、もうすこしくわしく説明します。
多読三原則の第一番目に「辞書を捨てる」とか「辞書を引かない」を
持ってきたのは「一般的な日本人の英語学習者」を頭に描いて
いるからです。
典型的な「英語学習者」は「お勉強」に熱心で、まちがいは一つも
許せず、カンペキを目指します。そして、すべての「単語」に
和訳をつけないと気が済まない・・・
第一原則はその殻を一気に壊したかったので作ったものです。
ここで大事なことは「一般的」、「典型的」という言葉です。
多読はひとりひとり違う道を通って山頂に到達します。
それはほかの「学習法」とは大きく違います。何かの「法」があって、
それにしたがえばいいというのではありません。
結局はひとりひとりが自分に合った道を選びます。
だから本当は「一般的」「典型的」というような言葉は
多読には合わない・・・ 
つまり、辞書を引こうと引くまいと、それぞれが自分に合った
やり方を選べばいい・・・ ところがどうもそうではない・・・
たくさんの学生と授業で接してきて、学生たちが「これぞ自分に
合った道」と思って選ぶ道がかならずしもその人本来の取るべき
道ではないということが何度もありました。生来いい加減な、
おおらかな人が、英語となると「お勉強」をはじめて、
単語から品詞から文法からすべてきっちりわからないと
気が済まないなんていうことをいいだすわけです。
ひとりひとりはそれぞれ自分に合った道を選べばいいのだけれども、
それぞれに任せてしまうと、「一般的」には、また「典型的」には、
「まちがった道」を選んでしまう人が多い・・・ 
それが三原則を作った理由です。
「辞書は捨てる、引かない」と無理やり制限することで、
学校英語の几帳面さから「解放」される場合がかなりあるのですね。
さて、以上で「辞書は捨てる」の真意はおわかりだと思います。
次に、では具体的にはどう辞書とつきあっていけばいいか、
それを思いつくまま、思い出せるままに連ねていきましょう。
一つくらい、だれかの腑に落ちる表現があるかもしれない。
「辞書に頼らなくなったら、引いていい」
  これはもう書きましたね。要する100%理解しなければならない、
  という縛りから解放されたら、引いていいということです。
  講演などではよく中島敦の「名人伝」という短編を引き合いに出します。
「読み終わって本を閉じて、それでも気になって、綴りを覚えているような
 語があったら、辞書を引いてもいい」
  これもぼくがよくいう言い方です。わからない単語が出てくると
  すぐに辞書に手が出るのは、よくない辞書依存症を示していると
  思います。
「何度も何度も出てきて、この語はどうも目障りでならない!と思う
 ほどの語は辞書で引いてもいい」
  これは「イライラの法則」ということで、「どうして英語が
  使えない?」の中で推奨している引き方ですね。オレンジ
  ピールさんが見事に書いてくださったように、この衝動も
  抑えると、わかったときのうれしさは「辞書引きの快楽」に
  勝ると思いますが、そこまでイライラさせられる語なら、
  ほぼ同じくらいのうれしさを得られて、しかも辞書引きの麻薬
  的効果にもはまらないかもしれない。
  ところで、おなじことをAllyさんがだいぶ前にこんな風に書いて
  いると、間者猫さんが知らせてくれました。
  「やっぱりAllyさんの辞書引き3原則
   1.夜も眠れぬほど気になる単語だけ調べる。
   2.(辞書の説明文の中で)分からない単語は飛ばす。
   3.(辞書の説明文を読んでも)分からなければ時期尚早と諦める。
   大事ですね。」
  (こういう投稿をおぼえているというのがすごい!)
「・・・・・・・」
  まだまだあったはずなのですが、出てこなくなった・・・
  ・・・
  ・・・
  やっぱり出てこない・・・ きょうはこのくらいにしましょうか。
一つだけいいたいことを思い出しました。
それはね、ぼくの答えは相手によって変わるということです。
一般的、典型的な場合を想定した答えは上のようなものですが、
実際には「おい、たまには辞書を引いたらどう?」から、
「だめ、その辞書はいますぐ取り上げます。3年経ったら返します」
という助言(?)まで、相手の人がどんな人でどんな読み方を
しているかを確かめた上で助言します。そのことはどうしても強調して
おきます。
でもね、一般的か、典型的とかを忘れてよければ、実はぼくが
いちばんいいたいことはオレンジピールさんが
書いてくださっています。ぼくは感動しました。
上のオレンジピールさんの投稿から、そのまま引用します。
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で、私には勿論それに対する納得できる答を出すことはできないので、
体験からの意見をすこし。単語が分かって前後の意味がぱぁっと
わかるのは確かに気持ちがいいですが、辞書をひいて分かるよりも、
辞書を引かずに読み進めた後に自力で意味が分かった瞬間の方が
何倍も気持ちがいいです。大げさではなく天啓のように「分かった!」
と頭にひらめくのです。そして、不思議なことにほとんどの場合、
それほど間違っているということがないんですね。
ちなみにそれに対して、無理矢理「こうかな?前後の文脈から
考えてこうだろう」なんてひねり出したように推測した意味は
かなりの確率で間違っていることが多いです(笑)
私の場合この「わかった!」時の快感のせいで多読がくせになった
のかもしれません。
100万語未満ということは、まだまだこれから新しいひらめきに
出会える段階ですね。
そういう時に辞書をひいてその出会いを減らしてしまうのは
勿体ない気がします。
今思えば、私の100万語までの道のりは「分からない単語を飛ばす
居心地の悪さ」や「知らない表現、語法に出会った時の敗北感」を
克服すべき時期だったように思います。
勿論自分がその段階にあった時はそんなこと思いもしませんでしたよ。
だから、早く分かりたくて焦る気持ちはよく分かります。でも、多読は
ゆっくり、楽しく進んだ方がかえって効果があらわれる気がします。
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なにも付け加えることはありません。
あ、一つあるかな?
オレンジピールさんがどんなにみごとに表現してくださっても、
いまこれを読んだ人だれにでも当てはまるわけではありませんよ。
そういう人もいるのか、酒井さんはそう考えているのか、と
了解してくだされば結構です。選ぶのは、たとえあなたが洗脳
されていようといまいと、あなたです。オレンジピールさんの
言葉やぼくの書いたことが「自分は学校英語に洗脳されているの
かもしれない」と考えるきっかけになったら、それはぼくとしては
うれしいけれど、だれに対しても強制する気はないです。
第一、オレンジピールさんだって、辞書を引いておなじくらい
うれしいことがこの先あるかもしれない・・・
最後に、この投稿でいう「辞書」は英英辞典のことです。
まちがっても英和辞典は引かないようにしましょう。
専門的な語の専門的な訳語を知りたいとき以外は!
(専門的訳語はこれがまたまちがっていることが多い!
 いま思い出したのですが、「後期印象派」ってあるでしょ?
 あれって、「印象派の時代の後半」だと思いませんか?
 英語ではpost-impressionismというのは「印象派終了後」という
 ことですよね。)
ながながおつきあい下さって、ありがとう!

これからまだまだ付け加えたり、修正したりすることはあるでしょうか、当面これがわたしの考え得る最良のお答えです・・・