「作法の文法」について(修正版)


「作法の文法」という言い方を「こども式」サイトやSSSの掲示板で、何度かしました。
果たしてどのくらいの人が気にかけているかわかりませんが、わたしは「学校英語」を考える上で大事な視点だと考えているので、ここで説明して、みなさんからの質問でさらにふくらませていきます。


文法についてはいままでになんどか書いたことがあります。
文法と英語指導の関係についても書いています。
けれどもわたしが「文法」をどう考えているかは、そうした書き物や話の中では、切れ切れにしか明らかにしてきませんでした。ここではじめて、考えていることの全体をみなさんに見てもらうことにします。
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これはわたしの頭の中を写した一枚の青い幻燈です・・・
文法について、さまざまな議論が錯綜していますが、わたしは一気に3つに分けることを提案します。つまり、GI、GII、GIIIというものです。そしてその中身は・・・
GI   地球上のすべての言語の底に共通した規則 
    (仮定されているだけでまだ見つかっていない)
GII   日本語や英語といった特定の言語の底にだけある規則
    (仮定されているだけでまだ見つかっていない)
GIII  特定の言語が特定の集団の中で使われるときの表面的な見かけ上の規則
    (ほぼ決まっているけれども、例外が多く、集団ごとに
     変化する)
GI では、たとえば「すべての言語に受け身があるはずだ」という主張があります。もし本当だとすると「受け身」というのは GI の一つの要素になりますね。でも、中には受け身のない言語もあるという話もあって、まだ GI についてはだれもたしかなことは言えていません。
それもそのはず、そもそもどんな言語についても、 GII さえわかっていないのですから、「受け身」であろうとなんであろうと、さまざまな言語をくらべるなんて、無理に決まっているのです。
その GII についてはずいぶんさまざまな研究がされていますが、簡単にいえば、これもまだ見つかっていません。GII の研究がいちばん熱心にされてきたのは英語の GII だと思いますが、英語の「決定版文法」というものはまだないのです。
要するになにもわかっていない状況と言っていいでしょう。理屈を考え出すと「言葉」というのはおっそろしく複雑なもので、「良くこんな複雑なものをほとんど何も考えずに毎日使っているものだ!」という気がしてきます。
そこで GI を追求する人たちの中には「言語獲得装置」なるものを脳の中に想定して、そこになにもかもぶち込んでしまおうという人たちがいますが、これは脳の中がわからないからというので、脳の中にもう一つ脳を作るようなもので、なんの解決にもなりませんね。
(この点はだいぶ前にベストセラーになった The Language Instinct という( Steven Pinker という(チョムスキーという GI の大家の)一番弟子(?)が)書いた本の題名がよく表していますね。
要するに言葉を使うのは人間の「本能」なのだと・・・ それを敷衍すると、食欲や性欲とおなじように説明できないことにならないでしょうか? わたしには「科学的文法」探求の放棄と見えます。少なくとも科学的文法をあきらめて進化論や生物学、脳科学(?)の方へ責任転嫁しようとしている・・・?)
ちなみに世の中、血流量であるとか、MRIだとかを使って脳の働きが一部でもわかったように大騒ぎしていますが、すべて「学者」のおもちゃだとわたしは思います。これからは次から次へといろいろな「研究成果」が出てきて、ビタミンやサプリメントや血糖値のような流行語が生まれることでしょう。人間の脳の働きをいくつかの物理量だけ量って理解しようなんて、いい加減すぎます。「脳の活性化」なんていう言葉も嫌な言葉です。ゲームや試験をやって「活性化」というのはサプリメントを呑むのと酷似していると思いませんか? おそろしや、おそろしや・・・
閑話休題・・・ で、何の話でしたっけ? そうだ、次は GII でした・・・
つまり、だれも英語であれ、日本語であれ、「特定の言語がどういう仕組みになっているか( GII )」、知っている人はいないのです。いまできるのはせいぜい比較することぐらい。つまり、単数複数は英語では基本的な区別のようだが、どんな言語にとっても根本的なものだろうか? (日本語にはほとんどないですね) 過去現在未来くらいはどの言葉にもあるのではないか? (日本語には過去、現在はあるけれど、未来はないですね。しかも「た、る」というような終わり方が「過去、現在」といえるかどうか、議論があります。中国語には未来どころか過去も現在もないというせつもありますが、これも議論がいろいろ・・・)せめて主語、動詞、目的語くらいはどんな言葉にもあるのでは? (いやいや、日本語では主語を認めない説も有力・・・)
GII についてはただ一つ、英語を完璧に(どころかほんの少しでも)解明した grammar はない! ということだけ覚えていてください。
したがって、「文法を学ぶ、教える」という場合、何を学んだらいいのか、教えたらいいのかはだれにもわからない・・・ だってそうでしょう、言葉の根本的な仕組み(「文法」)がわかっていないのだから、英語全体のどの部分をどう説明をしたらいいのかも、わからないはずです。
では、いま日本で「英文法」といって学び、教えられているものはなんなのでしょう? それをわたしは GIII と呼び、「作法の文法」と呼ぶわけです。(ふー、やっと本題に入ってきた)
いま日本の学校で教えられている「文法」、ケンブリッジ大学出版局の Grammar in Use などはどれも作法の文法といっていいでしょう。一言でいえば、食事の時に箸もスプーンも使わずに手で食べても栄養はとれるし満腹感もあるけれど、お行儀のためには箸やスプーンを使った方が顰蹙を買いにくい・・・
もちろんインドあたりの人は指で器用に食べるわけで、そこで「特定集団の中だけで使われる」という制限がついているのです。
しかも特定集団には「国」の違いだけではなく、地域による違い(これがよくいわれる方言ですね)、集団による違い(たとえばギャル言葉、ざあます言葉、これも階層方言と呼べる)、表現手段による違い(筆、ペン、ワープロ、メール、標識)など、さまざまな「特定集団」が考えられます。それぞれに、「作法の文法」があるわけですね。
さらにまた時間によって区別された「特定集団」もある!
つまり、おなじ地方、おなじ階層、おなじ暮らしをしていても、昔と今では「正しい」話し方、書き方というのは違ってくる・・・
学校英文法はおそらく何十年、いやひょっとする何百年も前に「正しかった」作法の文法をせこく手を加えながら使っている! 
その様たるや、朽ち果てていまにも倒れそうなあばら屋にアルミのサッシがついて
朝日に四角い枠だけが光っているというような・・・
Grammar in Useシリーズのような問題集(説明つき)は現代の知識人候補のための作法の文法と語法の本ですね。したがって、英語を食べて栄養として吸収することはできるようになった、そろそろお行儀も、という人はやる意味があるけれど、仕組みを知ったり、吸収率を高めたりすることには役立たないのですね。
突然ですが、一応概観の結論は出たので、ここまでにして、大学へいってきます。