きょう、うれしいことがありました。
研究室に来た二人の学生が、二人ともRainbow MagicとWeather Fairiesを読んで、
おもしろかったというのです。そして読み終わった本を楽しそうに交換していました。
社会人タドキストの間ではたいしたことではないかもしれませんが、ぼくにはうれしかった。
なぜ?
この二人と、もう一人きょうは来ていなかった人と三人で奪い合うようにこの二つのシリーズを読んでいます。うれしいのはこの3人とも、学校の英語になじめず、とても強い「不得意感」(?)を持っていたということです。
掲示板に登場する社会人タドキストの場合は大学生よりもはるかにうまくいっています。
それはそもそも「やる気」があって多読をはじめるからでしょう。
大学生は単位のためだったり、就職のためだったり、大学院進学のためだったり、
とかく自分から読むという気持ちにはなりにくいようです。
まして入学前から不得意だと思っていると、多読といえども単なる単位稼ぎになりがちです。
今日の二人のうち一人はRainbow Magicまでは絵本ばかり読んでいました。
ただし、大量に、もうあきれるくらいやさしい本しか読まないのです。
それがいきなりRainbow Magicで、十分に楽しんでいます。
もう一人は英語の単位をいくつも落とた人で、わたしと会ったのも再履修クラスでした。
ところが多読が気に入ったのか、単位に関係なく研究室に現れては非常にやさしい本を借りていくようになり、ついにRainbow Magicを読みはじめた・・・
英語にかぎらず学校は試験でいい成績をとるためにあるかのようになっています。
そういうゆがんだ制度にどうしても合わない人は、教室では暗い顔をしています。そういう顔を見るたびにわたしは自分が圧制者(?)のような気分になるのです。
だから、嫌いだったという英語の本を読んで、心からうれしそうな
顔をしている学生を見ると、すこーしだけ罪が軽くなったような気がするのです。
わたしにとって、まちがいなく多読はずっとそういう贖罪の方法でした。
でもいまはもうマイナスをゼロにするだけでなく、ゼロからプラスにする道もできかかってきたと思っています。
#「Rainbow Magic」シリーズ一覧
#「Weather Fairies」シリーズ一覧
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