きのう紹介したちんさんの意見にさっそく「ひまわり」さんからメールがありました。
シャドーイング?原則と多読三原則の「パラレルな関係」から
シャドーイングと五感の関係まで・・・
まだまだこれから明らかになっていくはずの分野なので、
みなさんの意見や感想をお待ちしています!
おはようございます。ひまわりです。
「多読三原則へのヒント」読みました。
ちんさんの書かれた、
「大人式シャドーイングの英単語を発音しようとするのが
英和辞書を引くことに相当するんちゃうかなぁ。」
わたしも、シャドーイングしながら、そんな感じ、してます。
「だから、こども式は”辞書を引かない”的に
単語とか言葉としてじゃなくて「音」として真似する
ということが、コア要素になるのかなぁと」
賛成です。
「(そうすると辞書引かなくて意味がわかるんですか?
に相当するような
何の単語を発音しているかわからなくて発音が
身に付くんですか?っていう質問が来るようになる)」
もしそう聞かれたら、わたしどう答えるかな?と、考えた。で、思いました。
何の単語を発音しているかわからないまま続けるシャドーイングの効果は、最終的に「発音が身につく」以上のものではないかと、わたしは思います。辞書を引かないで意味がわかるようになっていく「多読」と同じように、その効果は「意味」の世界にまで食い込んでいくと思う。
このところOver the Riverという歌をシャドーイングしています。最近その歌で面白い経験をしました。初めての「歌のシャドーイング」なので、特に気をつけて音のかたまりとリズムだけ、聞いて感じて真似ています。単語とか文字とか一切意識にのせない。でも、ある日、急に歌の情景が見えてきたのです。そりが、川をわたって、雪の中、馬に引かれて走っていく・・・冷たい風が顔に当たって、おばあちゃんちへ!って、わくわくして心が急いて・・・脳の奥のほうから、そんな情景が、もそ?っと、あらわれてきた。それも五感に直接響くような仕方で。相変わらず単語や言葉、意識してないのに。
うまく表現できないけど・・・多読でMinnow on the Sayを2回目読んだとき霧がはれるように景色が見えるようになって、びっくりしたことがある。歌の景色がみえるようになってきたのも、それと似ています。
そんなわけで、わたしは、何の単語を発音しているかわからないままシャドーイングしていても、多読のようにちゃんとやさしいところから段階を踏んで続けていけば、その効果は、「発音」のみならず「意味」の世界にまで広がっていくと、そう思います
近眼の独眼龍さんの第一原則も
1.発音記号、綴りなど思い浮かべたりしない。
でしたね。
みなさん、どう思われますか?
そしてシャドーイングが、音を越えて意味?情景?五感?まで広がる?しみこむ?
うーん、ぼくはまだ経験していないなあ・・・
そもそもぼくは自分では多読経験が十分ではない、精読人間だとと思っているので、
ひたすら、うらやましい・・・
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