アマゾンのウィッシュ・リストの、その先にあるもの
2011年5月 3日
カテゴリ : 多読亭日乗
東日本大震災で浮き彫りになったことが一つあるとわたしは思います。
それは普通の人々の役割です。
遠くから、インターネットやマスコミを通じて得た印象に過ぎませんが、
今回の異常事態で政治や経済やマスコミがおろおろしている間に、
そうした「権力」のない普通の人々がどんどんやれることをやっていった・・・
ように見えます。
わたしはそういう印象を、世の中についてこれまで一度も持ったことがないような
気がします。
twitter、facebook を通じて、普通の人が報道機関を通さずに状況を直接知らせ
あいましたね。中には本当のことと嘘が混じっていたでしょうが、それはマスコミを
通じた場合や政府や自治体の「広報」とたいして変わらないと思います。
その上、政府や自治体が動けない、あるいは動きにくい場面で、
普通の人々が作ったNPO法人が緊急に必要な支援を率先して進めていった
という印象があります。
(近くからも一例を見ています。東京調布の味の素スタジアムでボランティアの
人たちをリードしているNPO法人もそう見えました。)
その印象を「中抜き」ということばで表現した記事を「Julie」さんが紹介しています。
amazon の「ほしい物リスト」が行政や、マスコミを「すっ飛ばし」て、
被災地と篤志の普通の人々を直接つないだ状況をこう呼んだわけです。
ただし、「自治体の中抜き」 という見方だけではもったいないでしょうね。
「中抜き」されたのは地方自治体だけではなく、国の政府、これまでの日本経済、
そして、マスコミも素通りされてしまったのではないでしょうか?
その一つの典型が amazon の 「ほしい物リスト」 の活用だった・・・
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これまでにも何度か書きましたが、コンピュータは直接民主制に通じてこそ意味が
あると思います。そうでなければ単に従来からある制度の「効率を高める」だけの
ことで、根本的な改善や改革つまり革命には至らないでしょう。
ブログや、ウェブサイトや、インターネット検索や、wiki や twitter や
facebook や 「ほしい物リスト」 は、「直接民主制」へ向う道が「ありうるかも
しれない」と思わせてくれたように思います。