8月6日(土)にオンラインで第12回多読支援セミナーを開催しました。今年は「多読の『多』を考える」をテーマに、106名(日本語67名、英語39名、録画視聴希望29名。国外からは13名。)のお申し込みがありました。報告第一弾は、午前中に行われた日英合同での全体会の様子をお伝えします。
(A)多読の「多」を考えるワークショップ
報告:片山
今回のテーマは「多読の『多』を考える」です。司会進行の作田奈苗さん(正会員・津田塾大学)の趣旨説明の後、今日のテーマを明確にするため、繁村一義さん(副理事長)から、多読についての簡単なおさらいと以下のような問いが投げかけられました。
多読・tadokuとは、言葉に慣れ親しむための方法。慣れ親しもうとすると、自然に「多」になる。でも、「多」が目的ではない。Tadoku(多読)における「多」とはなんだろうか。
そして、ワークショップがスタートしました。多読支援者や多読実践者の7つの経験(ケース)が書かれたファイルが配られ、一人でじっくり読む時間が与えられました。
その後は、14のグループに分かれ、ケースをきっかけにして「多」について思ったことを自由に出し合いました。35分間の話し合いを終えて全員がメインルームに集まると、作田さんから、「話した内容をもとに、『多読の多とは』に続く言葉を考えてください。」という指示が出され、再度同じグループで集まりました。各グループのまとめは次のようになりました。
多読の「多」とは・・・
- 夢中になって思わずたくさん読んだり、音や表現に触れるの「多」
- 量ではなく興味が持てる一冊に出会うために続けること。
- 好きの熱量
- 「わかった」「心動かされた」体験の積み重ね
- インプットの熟成期間のこと
- 多様な読み方を認める「多」、多様性の「多」
多読には様々な「多」があり、それこそが多読の目指す「多」なのではないかと感じられたワークショップでした。参加者の皆さんからは、以下のような感想が寄せられています。
アンケートより抜粋
- 日本語・英語問わず、参加者の方向性は同じという事が分かり大変有意義でした。
- 多読授業の評価方法や評価基準については自分自身悩むところが大きいので、その点についていろいろ参考になるお話がそれぞれの立場から聞けて、勉強になりました。
- みなさんと考えたことで、自分が持っていた多読の目的や目標をたくさん読むことではなく、その後の学習者の生活や人生に日本語に触れる楽しみを増やすことに転換することができました。
- 皆さんが、量ではなく、楽しむことを大切だと思っていらっしゃることが分かり、これでいいんだと、安心しました。
- 数値(文字数、冊数、時間数など)にとらわれず、読んだ内容の理解の質が大切。「わかった」「おもしろかった」「心を動かされた」という体験自体の積み重ねが「多い」のが「多読」で、読んだ内容の理解の質を判断するのは読んだ本人。支援者は多読をする人の判断を肯定的にとらえたい。
- 読ませよう、読ませなくては!!という気持ちがまだまだあったなぁと反省しました。本を手に取り開くのも実践者の自由だし、つまらない、今は読めないと閉じるのも然り。
- 文字を読まなくても本の世界に入り込めたら、それは多読への一歩目なのだ、とはっきり理解できたのは本当によかったです。
- 多読の多とは「意味のあるインプットの積み重ね」というのが今の自分にはしっくりくるかなと思いました。意味のあるインプットはもちろん面白かったと感じることのできる読書・視聴体験であるし、それが意味があるかどうかはそれを受け取る人によって変わってくる=多様である、ということで何となく自分の中でまとまった感じがします。
- 成績に限らず、「量」や「冊数」で学習者の多読の質を決めるのはどうなのか、支援者(または学校)が決めた結果(アウトカム)に達しているかどうか、プロダクト・プロジェクト(アウトプット)の出来具合で多読そのものを振り返るのはどうなのか、と気になっていたことでした。個人的にはまず多読をすることが先で、アウトカムやアウトプットのために多読をするのではないように思っています。ある意味、多読をして何が出てくるかはお楽しみという気持ちです。
- 具体的で本音の話し合いになりました。英語支援を主にORTを使ってしていらっしゃる方が、「楽しく読む」と、よくいうが、無理やり楽しませるのは避けなければ、とおっしゃいました。確かに、我々が英語多読をしていて「楽しかったでしょう?おもしろかったねえ?」と言われたら嫌ですね。と、わたしも発言しました。参加したみんなが、自戒とともに納得しました。むしろ、指導する人が楽しんでいることは、とても大事だという発言があり、異議なし!でした。
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報告その②に続く。
(事務局)