多読と学校英語 「杏樹」さんのメールに「tsumugi」さんから・・・

2010年2月20日
カテゴリ : 学校訪問
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多読と受験から、多読と学校英語へと話が少しずつ広がっております。
折しも多読支援をする先生たちのメーリング・リストでも同じ話題が出ているので、
そちらからも意見を紹介できるかもしれません。

   (生徒の名前や様子がわかってしまう可能性があって、支援する人の間で
    交わされるメールの内容をブログに転載できないこともあるのです。)

で、まずは「tsumugi」さんのメールをご紹介します・・・

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tsumugiさんには「字幕なし多観」についてもメールをいただきました。
そちらについては近いうちに「集計」を発表します。

再びこんにちは、tsumugiです。

杏樹さんのお話につられて、英語じゃないんですが学校に関して。
国語の話題なので一応原語つながりってことで許してくださいませ。

家の上の娘(3年生)が日本の公立小学校に入って1年が経ちました。
去年の4月からは下の娘も同じ学校の1年生になり2人で通っています。

この小学校では年に数回「~~道場」と題された暗記物の全校一斉テストがあるのです。
基本的に参加は生徒の自主性に任せ、昼休みにテストが行われるんだそうです。(昼休みにテストってどんな拷問?)
一応最低ラインは年に1種類以上の道場を受けることだそうです。

ほんとですね! これは驚きました・・・
世の中のテスト狂いはそこまで行っているんだ!
休みじゃないですねえ・・・ 

漢字道場は1~6段まで各学年ごとに決まっていて基本的には学年対応の
段かそれ以上を受ける。
市区名道場、県名道場、国名道場は住んでる県の市町村区名を地図に書き込む形式で正解の個数で段数が決まる。

学校から配られたプリントには上記のルールが書いてありました。

でまあ家の娘は去年の今頃日本の学校に入ったときはひらがなさえすらすら読み書きできない状態でした。2学期くらいにはやっぱりいくらなんでもと思い、検査したらやっぱり書字読字には学習障害が認められ、自信が無くなりすぎて。自画像描かせるとA41枚の紙に米粒大の顔無し細部無しの人間を描いちゃうような状態になってしまい…。当然こんなテストを学年通りに受けろって言われたって無理です。そもそも問題文読めないし、答えを書き取るのだって不可能でしょう。10月頃からやっと小学校1年生程度の漢字を混ぜた文章をきったない文字で書くことが出来るようになった程度です。ハードル高すぎて勉強嫌いになるだけです。

tsumugiさんのこどもさんには特に拷問の可能性はありますが、
わたしはどんなこどもにとっても拷問だと思います。
勝手な想像に過ぎませんが、「漢字検定」とか、「百マス計算」といった「数字信仰」が
いまのこどもを苛んでいるのだと考えます。

でまあ、学校と交渉して夏休み明けのテストは1段下の2年生漢字(殆ど一つも習ったこと無いので知らない字を100字位)やることになったのです。母の私は2月にはひらがなだっておぼつかなかったし、その時だって木、とか水だって文章に混ぜて書くことが出来なかったのですから出来なくて受からなくて当然と思うのですが、周囲はそういうわけにはいきません。学校も私の夫も躍起になって無理矢理覚えさせよう、覚えさせるよう勉強させろと本人と母の私に圧力をかけてくるわけです。
朝とか交通とか、漢数字さえまともに書けない子どもに一体どうやって教えるんでしょうねえ、丸暗記ですか?
100字近く夏休みいっぱいかかって丸暗記?
カナダの小学校1~2年生の先生はこの位の子に一番やらせちゃいけないのはスペリングの勉強といって机に座らせて書取をさせることと言われ、覚えるためには大人が工夫、クイズ形式にしたりポスター作ったり、パスタアートを作ってみたり手を変え品を変え覚えさせましたよ。

ほー! 暗記をやらせちゃいけないと言うなんて、すごいなあ!
カナダではみんなそうなんだろうか? それが常識?

私たちも発達から考えて、それは正しいと思ってきました。
暗記を強要される経験を全くしてこなかった娘に一体どうやって暗記の必要性を納得させるか無理矢理怒鳴りつけてでもやらせるんでしょうか
…わたしにはわかりません。

え?
など思っておりました。
まあ、案の定必要性はまあそれなりに理解できても高すぎるハードルに娘はダウン。
見事にほとんど0点で落ちてくれたわけです。

で、今回2月は更にハードルを下げて、1年生の漢字をやらせました。

まあこんな経過を1年かけて学校とバトルしながらやったのですが…今回学年末の学校での学習報告に行き、あんまりにも腹が立ったのでブチブチ言わせて頂きます。

どうぞ、いくらでも言ってください。
日本でtsumugiさんの気持ちをそのまま受け止めるサイトはtadoku.orgくらい?
(まさかそんなことはないですよね?)

そもそもこんな暗記物を学校あげて昼休みにテストってどんだけ~~
1年生で100カ国以上世界地図暗記って時間の無駄、他にすることある
んじゃないの?というのが私の所感なんですが半数以上の6年生が受験する学校、まあ暗記物は確実にしたいという親の気持ちが学校に反映
しちゃったのかなあ…。

暗記こそ勉強っていう風潮・・・いったいどういうことなんでしょうね?
わたしはやはり日本人がひじょーーーーーーに自信をなくしているからと思えて、
なりません。ものすごく浮き足立っていて「せめて事実を覚えればなんとか
なりゃしないか?」と縋っているように見えます。

先生も理性働かせて受験対象3年生以上にするとかなんでしないんでしょうかねえ?自主性?ですか?

娘のクラスでは自主参加といわれながら、担任の先生の意向でクラス全員参加ということになっていました。
実際、娘のクラスメートは「担任の○○先生が参加って言ったから絶対参加しなくちゃ・い・け・な・い・ん・だよ」と発言してました。しかも娘のクラスだけじゃないらしく実質全クラス担任が行ってるらしかったです。

それをですねえ、この道場担当の先生は学習報告会の時にいけしゃあしゃあと「子ども達の自主性が育って多くの子が参加してくれました」とのたまってくれたのです。

わたしだったら、先生方と喧嘩してますね。
学校に行かせません。

   (こどものころ「若草物語」を読んで、姉妹のだれだったかが先生に体罰を
    されて、お母さんが「そんな学校には行かなくてよろしい」と言い放ったのを
    目が覚める思いで読んだのでした。あれがわたしの原点?)

再びですが、「自主性」ってなんですか?

でまあ私担当教諭につっこんだわけです。
「自主参加と言われましたが実質クラス担任から全員参加と強要されましたよ、こういうのってダブルスタンダードですよね」と。

「家の娘が彼女の状態にあったものを受けたことについてクラスのお友達からバカにされる発言や態度があったりしたけれど、自主性の問題だけでなく子ども間の理解はどうなっているのですか?」

いいぞ!

まあそうしたら、この先生こう返してくるのです。
「習うべきモノは習うべきモノで学年ごとに要求される物が出来るようになるのが当たり前であって、段数を下げたのは特例です。本当は家の娘にも学年なりの段数を受けて欲しかったのですが…。そもそも学校としては、道場は全員に受けてもらいたいのです。前の学校ではこんなに受けてもらえませんでした。ほおって置けば子どもなんて受けなくて当たり前ですから。教室ごとに先生が受けると決めて受けたクラスもあるみたいですねえ。」
「クラスの子の娘に対する発言や態度は学校として、分かち合い、分かり合いをテーマにしてるのでその発言は対応したいです。」

電気通信大学の「大学教育センター」のセンター長がよく似た発言をしました。
わたしが出席だけで成績をつけることを非難して、

   「試験しないで学生が勉強するわけないじゃないですか!」

と・・・ わたしはああ、こりゃだめだと思いましたね。

話題そらしてごまかそうとしても無駄です。
子どもが習熟すべき事柄と自主性の問題は全然別ですv。
だいたい1年ごとに細かく習熟しなくちゃ行けないのは学校の都合で子どもの都合じゃないし~。小学生で覚えるべきことって大人?まあ少なく見積もって中学校に上がるまでになるまでに出来るようになれば良いんじゃないの?苦手な物は無理矢理その場で克服しなくたって少し待って精神・発達的な成長があれば楽に乗り越えられることが幾らでもあるよ。ちょっと他の方向性で練習するとすっとある日できるようになっちゃうことも幾らでも。苦労してがんばったというのは評価されるけど、成長を待って楽に伸ばしていける経験は学校ではさせてくれないよね。。。。
この辺って育児書頼みのママ、横並びじゃないと不安人間になってしまう基礎だよねえ。

そうです、横並び人間・・・
横並び人形?

受けなくて当たり前(子どもの都合)と思っているなら、それをいかにして受けさせるか(大人の都合に乗せるか)?じゃなくて、他の方向性での習熟機会を優先させようと思わないの?下らない練習に時間使わせて大事な子をも時代を無駄にさせないでよ。一体誰のための学校なの?子どもが大人になるのに困らないようにするための学びの場なんじゃないですか?先生が子どもを都合良く動かすことが目標になってますよ…。

ある学校で、とてもまじめなこどものことを考えている先生が、わたしに
「多読の足並みが揃わないんです、どうしたらいいでしょう?」って
おたずねになったのです。わたしはその人のことを買っていたから、
即座に「足並みなんか揃わなくていいんですよ」と言いました。
まもなくその先生はおわかりになると思いますが、横並び人形を作りたいのは
こどものことを真剣に考えている先生にもいるのです。

学校の先生が全員に受けてもらいたいと思ってるなら、子どもにとっての受け止めはそれは実質強制になるってことも分からないのかしら?
受ける受けない選択をする自由とかそれに対するケアがないと、実質全体への強制と受けない子への奇妙なプレッシャーが教室内で発生してそれを受けない子の自己責任に転嫁する…私にはその理屈は理解不能です。

そのへんはね、日本の長い伝統で、プレッシャーではないプレッシャー、
阿吽の呼吸とかいうんでしょうか・・・ 外れたヤツはそれとなく排除する・・・

教室毎に実質どうなってるかというのはどうでもよくって、結果「自主性」というお題目が満足できればよいのですね。

分かち合い、分かり合いがテーマとか言うならまず先生が一斉教育を止めて、個別の状況を見て「受け入れた」上できちんとその子にあった指導をすることからはじめたらどうですか?

もう25年くらい前ですね、わたしはある文科省主催の研修会に出たら、
一斉授業の話ばかりで、わたしが文句を言ったら、講師を務めていたえらい?
人が「一斉授業はなくならないと思いますよ」って。

文科省も、日本全体も、「個別の状況」によって支援するということは
システムとしてはありえないです。もちろん個人でそれをめざしている先生はいます。
いままさにそういう先生方と、なんとかお上に気づかれない「革命」を起こせないかと
こっそり奮闘しているところです。

けれども、システムとして、一人一人を大切にすることは、日本では何年経っても
ありえない。

などど、怒るやら呆れるやらで話にならん状態になってしまったので、しかし諦めずに、強制なのか自主参加なのかダブルスタンダードだけはやめてくれ、子ども間で人をけなすような真似はさせないようと言って帰って来ました。

ちなみに先生は批判されることに慣れていないようで相当不愉快そうでした…。
カナダ流でヤッテしまったかもしれません (^_^;)。

まあこんなイヤな話を先生に聞かせてしまって申し訳ないのですが、
見事なまでに自主性とか自発性を殺す教育現場の現状報告でした。
なんかどこかの英語教育の話にそっくりというか、英語一つに限らず、日本の教育現場においては一事が万事ということなんでしょうかと思わされる経験でした。
学校英語問題だけではなく学校は壁が厚すぎ。

そうです、英語は直接知っているし、細かいところまで文句があるけれど、
ほかの科目が英語とちがうわけはありません。

でもがんばって娘には大人になるときまでに出来ればいいこと、そのことを念頭に置いて、成長とともに学習させてあげたいです。

tsumugiでした。

tsumugiさんとともにかなり激昂してしまいましたが、わたしは常に上に書いたような
気持ちでいます。一時は抑えに抑えていたのですが、このところほかにも
わたしとおなじような気持ちの人に会って、またぞろ爆発寸前になっております。

頭を冷やすためにも、みなさんのご意見、ご感想を求めます。

tsumugiさん、メールをありがとー!