日本語
2010年2月 8日
カテゴリ : 多言語tadoku, 日本語多読研究会
タグ: 多読の届くところ, 多読授業, 多読支援
もう聞き飽きた人もいるでしょうけれど、多読村は英語のためだけにあるわけじゃ
ありません。言葉を通じて、ことばを介して、人と世界と宇宙とつながるために
あります、ちょっと大言壮語ですが・・・
で、英語の次にわたしが考えたことは日本語の多読・tadokuでした。
最近の日本語多読の様子をお知らせします・・・
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教室は東京都北区にある J日本語学校の授業風景です。
写真もあります。
http://blog.canpan.info/nihongo-tadoku/archive/128
この短いレポートの後半に登場する K さんに注目してください。
こういうのが多読支援です。
あ、そうだ、先月半ばに行われた中学高校の先生向けの多読研修会で、
ある高校のA先生がよく似た例を報告してくれました。
ある生徒が熱心にやさしい絵本を読んでいることを教員室で話題にしたら、
ほかの教科の先生が「え、あの****の?」と驚いたそうです。
(****は 床から出られなくなった高齢者を指すことばです。)
A先生によると、「わたしの別の英語の授業でも****なんです。
だから多読ってすごいなと思います」とのこと。
多読支援にはいろいろな面があります。
クラス編成、素材選び、一人一人の生徒と素材の相性、支援する人との信頼関係、
加えて、学校の都合、文科省の都合、社会の都合など、多読クラス外のもろもろの
影響・・・
一斉授業とはまったく異なる前提からはじまります。
世界観がちがうのです。人と人の間柄についての感じ方がちがいます。
それが多読クラスで生徒に伝わると、生徒は「外の顔」とはまったくちがう顔を
見せてくれることがあります。そういつもあるわけではないですが・・・
Kくんや「****」くんがいることで、多読を支援する人は前へ進む力を得ます。