1/16 (火)東京外国語大学で多読の話をしてきました!

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1月16日に、東京外国語大学の小島祥美先生の授業で、多読の話をさせていただきました。
小島先生は、東京外国語大学の多言語多文化共生センター長で、長年、外国につながる子どもたちへの就学支援や日本語教育に取り組んでいらっしゃいます。
縁あって呼んでいただいた授業は、「外国につながる子どもと教育②」という科目でした。
参加学生は、学部3,4年生、29名。40分ほど、「日本語多読の歩み」というタイトルで、私たちがやってきた活動について話しました。
日本語多読用の本も1人2,3冊配って読んでもらいました。
私たちの日本語多読の本は、ほぼみなさん、見たことがないようでしたが、英語多読は、高校時代にやったことがある人がちらほらいました。そのあとのディスカッションでは、中国から小3のとき来日した学生さんの日本語習得の話や現在受けている外国語教育の話、また、高校の時の英語多読が嫌いだったという話も何人から出され、楽しく盛り上がりつつ、いろいろと考えさせられました。
後で提出されたフィードバックは、外大生らしく自分の言語学習と照らし合わせての考察がびっしり書かれていてさすが外大生!
文面から、私たちの考える多読が「学習者が、自分で読みたい本を自分で選んで楽しく読む読書」であること、そしてテストや義務感から解放されていることが重要だという点が、みなさんに、きちんと伝わっているようでうれしかったです。

以下、何点か抜粋します。

  • 一人一人に個性があるように、それぞれが持つ能力も、考え方も異なっており、それに優越はないので、それぞれが自分のペースで、自分に合ったやり方で、楽しみながら学んでいくことが、何かを習得するときのひとつ秘訣のようなものなのではないかと思った。
  • 読書が趣味だったにも関わらず高校の英語多読は大嫌いだった。その理由は何だったんだろうと考えた時、やはり「いつまでに○○字読む」というノルマがあったため義務的なものという認識があったからだと思う。韓国語の絵本はどんなにくだらないものでも楽しみながら読むことが出来た。義務を感じてしまうと一気にやる気がなくなってしまうものなのだなと昔の自分をふりかえって感じた。
  • 日本語であろうと、外国語であろうと、「楽しむ」ことが「読む」上で重要だということが分かりました。そして、多読における「辞書を使わずに読む」という概念にとても驚きを感じた一方、大変共感しました。
    私は読書が好きなので、よく本屋さんや図書館に行って、興味のわいた本を手に取り読んでいます。一方で、私はこれまで、外国語学習において、「読む」という行為をするとき、必ず何か分からない単語があったら調べるということをしていました。分からない単語が出てくるたびに辞書を引く、もしくは一旦読んでその文章に関する設問を解き、答え合わせとともに単語の意味を知るという、読むというよりほとんど作業のようなことをしていました。(中略)今日、粟野さんのお話を伺い、「読む」ことを楽しむのに、極論母語も外国語も関係ないのだと感じました。ただ自分が読みたいものを楽しんで読むことが、多く読むことに繋がり、その積み重ねによって読解力や言語運用能力を習得できるのだなと思いました。
  • 私は1年前から集中的に英語学習、主に話すことの練習をしていますが、一年を通して感じていることは「immerse myself to English」の重要さと効果です。学習している意識ではなく日常的に楽しみながらその世界に浸ることが、その言語を習得する最短ルートなのではないかと考えるようになりました。粟野さんの説明にあった「日本語の海に入って日本語になれる」という言葉はまさに私が感じていたものでした。(中略)私は4月から英語教師になります。既存の授業スタイルから外れることは勇気が必要ですが、ただ楽しむだけの多読の場をどこかで継続的に設けたいと思っています。
  • 外国語の本は辞書を片手に読むものと思っていた私にとって、「調べない、教えない、途中で辞めてもいい」という多読のルールはとても新鮮なものでした。また「どんなに簡単でも、読みたくないものは読めない」という言葉が心に残っています。
  • 多読学習について、私が今まで思っていた多読とはただとにかくたくさん読むことだと思っていたが今日の講義を聞いて考えが完全に変わった。一番大切なことは楽しむこと。外国語を勉強しているという意識を持たずに、自分が読みたいから読むことで、それが自然に語学力を身につけていくことにつながるという多読学習の可能性の大きさを強く感じた。
  • 言語学習において、“楽しむ”ということが想像以上に大きな要素になっていると知ることが出来、外国に繋がる子ども達への教育のみならず、自分が勉強る時のヒントにもなると思いました。モチベーションと得られる能力の関係が面白かったです。
  • 私がこれまで英語や他の言語で経験してきた読解の授業とは全く異なる形を知ることができて、驚きましたし、とても良い発見ができたと感じました。私は教職をとっていて、学校で行われるテストや評価についての講義も受けてきたので、テストをしない授業でどうやって評価をするのか、という議論があることはとても興味深かったです。もはや多読の世界では評価の存在意義さえ問われそうに感じましたが、学校の制度を変えることは容易ではないので、難しいところですね。
  • 是非多くの教育機関に取り入れられてほしい取り組みだな、と思います。実際に外大でも多くの外国語での講読の授業があり、中には非常に難しいテキストもありました。正直全くやる気がわかないような題材でも、「テストに出るから」「順番に当てられた時答えられないとだめだから」という強制的な要因で読み進めていましたが、ふと、自分が本当に読みたい文献を授業中に各々が読めたらなんて楽しい授業になるのだろうか、と感じました。
  • 多読に限らず教育現場において大切なのは、学ぶ本人を軸におき、意欲と学ぶ喜びを与えることだと感じました。

改めてみなさんからのフィードバックを読み返すと「楽しむ」にほとんど全員が反応していることがわかります。学校の言語学習がいかに楽しくないかということなのでしょうか。私が数十年前に受けてきた英語の読解授業と全く同じスタイルの授業をいまだに受けている学生さんが多いようなのもショックです。
これから先生になる学生さんたちもいるようです。ぜひ、楽しい言語教育を実践していってほしいと思います。

(粟野 記)