英語育児はいかがなものか・・・ 再々訪  マスコミ批判も・・・

2009年12月22日
カテゴリ : 多読亭日乗, 永遠のFAQ
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今月20日でしょうか、21日でしょうか、NHKの朝の番組で「早期英語教育の
危険」(?)について話題にしていたそうです。

しばらく前から英語育児の問題を取りあげてきたのでよいタイミングとも言えますが、
NHKがそういう内容を放送すること自体にも問題があると想うので、そのことを
付け加えて・・・

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今朝のニュースでのタイトルは忘れましたが「児童への過度な早期教育をする母親増加」という内容を放映していました。
送ってくださった方は匿名にしておきます。
どなたが知らせてくださったかは本題と関係ないのでね。

「早期教育はIQを高める」や「人より優れた才能を持つ」という流行りを追って早期教育にのめりこむ母親が増加しているとか。
子供の脳の発達にはちゃんとした段階があって、運動や知覚の発達が途中の段階での無理な教育は場合によって、さまざまなストレスを子供に与え精神的不安定になるそうです。また、それが原因で幼稚園に通っても友達と遊べないなど日常の生活にも影響が出るようです。疲れたら休むということをしらない子供は突然、その影響を表に出し始めるそうです。
そして例に出た早期教育のほとんどに英語教育が含まれていました。
インタビューに応じていた母親は子供が0歳から英語教材のCDをかけ流し、英語で質問をするなどしていました。子供もそれに応じていましたが、2歳になり英語で何かをしようとすると嫌がり、泣くなどの抵抗が始まったそうです。
やがて幼稚園に入園しますが、日本語での意思疎通がうまくいかず、友達に暴力をふるうことから、わずか1カ月で退園。ほかの子供とあそばせず、友達とも遊ぶことをさせず、母親はとても悔いているとのことでした。
(いったい、何がしたかったのかをはっきりインタビューしてほしいところでしたが。)

同ニュース内である先生が出ていました。(子育て園だとか、名前は忘れました。)
「子供はあそぶ力をつけることが大切です。やがてあそぶ力が学ぶ力につながります。」
この言葉がとても印象的でした。
「学ぶ」とは、テストの点や人より良い成績のことではなく、自分の人生を切り開く力を蓄えることのような気がします。
過度な教育は自分の憧れや目標の押しつけであったり、自分の自慢のタネであったり、単なるエゴではないかと首をひねりたくなります。
あなたこそ、大人として自分に対してもっと何かできることはないのかと思うのは私だけでしょうか。何もせずに子どもに肩代わりさせているように感じることもありますが、「子供のため」だと言われたら「あ、そう。」としか言えません。
 
子供に英語を、という前にまずは自分が始めてみてどう思うかを体感するべきだと思います。
自分はしないけど、子供には、という考えがどうしても理解できません。
私たちでさえ、英語の本ばかり読んでいたら猛然と日本語が恋しくなることがあるでしょう。
それをどうして、子供たちが平気で続けられると思うのでしょうか。
実際に英語が話せたら何かうまくいくと思うのでしょうか。英語が話せても何一つ、自分の国について、家族や友達や趣味について何も浮かばないのだとしたら、「あそぶ力」がつかなかったと考えてしまいます。
「あそぶ力」は生きていくうえで幹になるのでしょうね。そこからさまざまなことを学びとって枝葉を広げ、人それぞれの花や実をつけるのではないかと思います。

わたし自身はそのニュースを見ていないので、まずはいただいたメールをそのまま
読んでいただきました。

で、このメールを読んだわたしの感想は・・・

* 番組についてメールで知らせてくださったことは、ほぼどれも
   「さもあらん」という内容でした。

* ただ、わたしはこのNHKの番組で、「ほーら言ったとおりだろ!」と思ったわけ
  ではありません。そのことは書いておく必要があるように考えます。

わたしはNHKの番組によってわたしの危惧が根拠のあるものになったとは
考えません。NHKの言ったことの中にたまたまわたしが危惧している事柄が
含まれていただけだと思っています。

もう少し大きな問題につなげると、わたしは概して「マスコミは信じない」のであります。
 (「概して」の部分についてはのちほど・・・)

たとえばNHK自身が英語育児を煽っていないでしょうか?
あれほど数々の英語番組を繰り広げることで、「早期英語教育に走る親たち」を
煽っているのではないでしょうか?

また朝日新聞は点数主義を煽っていないでしょうか?
最近のベネッセとの協同による「語彙・読解力検定」(?)は煽っていますね。

NHKにせよ、朝日新聞にせよ、大きな組織なので、事実(と勝手に考えている
こと)を報じることよりも大組織の自己防衛が優先するものであります。

    (それを最初に痛感したのは、あまりに古い話ですが、中国の文化大革命
     末期でありました。林彪という当時のトップが権力闘争で席を追われ、
     軍用機でソ連へ脱出しようとしたところ、ソ連中国の国境付近でその
     飛行機がミサイルで撃ち落とされたそうです。

     その報道を読んだのはアメリカの週刊誌TIMEとNewsweekの記事で
     した。日本の新聞には載らないなあ、どうしてだろうと思ったものの
     それ以上は追求しませんでしたが、1年後におなじ内容の記事が
     朝日新聞に載りました。なんらかの思惑が働いて、事件を報道することを
     避けたのだと思われます。(他紙がどうしたかは知りません。)

     その後、片岡と言ったかなあ、朝日の社長が事実の報道よりも
     中国との友好関係を大事にするという意味の発言をしていて(出典不明!)、
     わたしは「林彪の記事もそれだったのだな」と思ったのでした。)

大組織は社員とその家族を養わなければいけませんからね、
組織を壊すようなことは言えない、書けない、表現できない。

では信じるに足るものはあるのでしょうか?

一つは信頼の置ける個人の言、
もう一つは畳むことが可能な組織の言ですね。(個人に近いくらい小さい!)
そして、複数の情報源(初出時は alternative sources でした) を参照して
自分で判断することかな?

うーん、いくらでも長くなりそうですが、骨子は書いたように思います。

匿名さん、ありがとー! これからもよろしくお願いします・・・
なにかあったら教えてください!!