12月11日 木曜多読講座(英語)の報告です!

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先週の木曜日、これからはじまる講座のことを考えながら東中野駅を
降りようとしていて、あることに気がついてわたしは鳥肌が立ちました。

このところ「日直」を回り持ちで担当することにしていますが、
「あれはユダヤ教のタルムードの勉強と同じだ!」と思ったのです。
日直というのはまるで先生がいない授業時間を生徒が取り仕切るような
ものだと思ってください。「話す書く中心クラス」の四つの方針の一つ
「生徒同士で伸びていく」を実現しようとしているわけです。

今探したら、保存しておいたはずのURLが見つからないのですが、
イギリスBBC放送の番組で、ユダヤ教の聖典タルムードを普通の人同士
二人で討論しながら勉強していく様子を報告していたのです。

これはすごい!とわたしは思いました。くわしくはもう一度BBCのサイトを
検索してから書きますが、「聖典の内容を普通の人同士が討論しながら
理解を深めていく」これは「多読には先生も生徒もいない」と通じるところが
あるとわたしは思いました。

(第一わたしは「プロ」というのを信用してませんからね。
プロなんて、一つのことしか知らなくい視野の狭い連中のことじゃないでしょうか?
一つのことを知ってその先の世界にはばたかなきゃねえ・・・)

いや、ユダヤ教の伝統とわたしの考える多読が全く同じと考えているのでは
ありません。大きな違い、決定的な違いはあちらは神を信じる宗教だという
ことです。神のことばを素人同士の討論で理解できるはず、という点、
スケールが違います。しかも何千年も続いているんですよ。たいしたものです。)

「生徒同士で伸びていく」を実行するためでもありますが、
Read-Aloudの時には「聞いて分からなかったところを互いに指摘しよう」と
言う提案をしました。普通は、うまく行かなかったところを指摘されるのは
いやなものですが、「話す書く中心クラス」の人たちはどの人もたがいに
人柄の良さを認め合っているとわたしは思います。だから、聞いて分から
なかったところを指摘し合っても、それは良い方に変化していくことになると
思うのです。

・・・間違っているかもしれませんが。

最後に一つ。金曜日の講座でもそうなのですが、Read-Aloudの時の
わたしの感想が「一つ一つの音」に絞られてきました。
tadokuはトップダウンです。大きなところから少しずつ細部へ降りていきます。
英語らしいメロディーとリズムを獲得するところからはじまって、
ついに一つ一つの音を磨くところに来たようです。これについても
引き続き報告しますね。