2月21日 金曜多読講座の報告です! 分かるについて

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当然というのか、驚きというのか、講座の報告がだんだん長くなっています。
そこで今回は一つに絞ります。それは「字幕なし多観」!

Kさんは聞き読みができなくて講座に通い始めたと言っています。
目にし耳にする英文がよく分からないのに通り過ぎていくことが
耐えられなかったようです。したがって劇薬シャドーイングなどもってのほか。

そのKさんがなんと、きっかけは省きますが、
(偶然と仲間が微妙に関係している!)
字幕なし多観を通じて(?)分からないことに耐えられるようになった!

これは実に大きいことです。
何千人という人の多読を観察してきて、気持ちのよい多読を妨げる
いちばん大きな障碍はこの

「分からなければいけない、正しくなければいけない」

という圧力だとわたしは思います。

(杏樹さんはかつて多読三原則でいちばん大事な原則は
「分からなければ飛ばす」だと言ったことがありますが、
その通りです。あの第二原則が多読三原則の中心であって、
とどのつまり「理解」を吹き飛ばして、「楽しく」を基準にするものと言えます。)

学校では当然ですが「分かる」ということを非常に強調します。
マルかバツか、という基準は「分かるか、分からないか」という尺度を
わたしたちの中に吹き込み、育て、絶対基準にします。

「正しく」は日本人すべてに巣食う宿痾(しゅくあ)のようです。
できればこの永き患いを追い出して、楽しければいいじゃないか、
通じればいいじゃないか、と考え方を変えられるといいのですが、
そう簡単に治せるものなら「宿痾」とは呼ばれない・・・

実はKさんが講座に参加した目的は、当初からわたし自身のKさんに対する
目標でもありました。Kさんが「分かる・分からない」を抜け出す手伝いをしたい
ということでした。それがどうも少し実現しそうになっていると思われます。

結局問題解決の鍵は 愛 だったのかもしれません。
物語に対する愛、ドラマや映画の世界に対する愛が、
「理解」という了見のせまい基準を吹き飛ばしてしまった・・・!?

Kさんにはみなさんに字幕なし多観の感想を言ってもらいました。
その言をわたしのメモから・・・
*「分からなくていい」ということがかってきた。
*字幕なしで[これから見ようとするえいがに]うきうきしている自分が不思議。
*今まで、字幕を見ていて、仕草や表情は見ていなかったと気がついた
*字幕はジャマ。ことばは文字じゃない。

もう一人、わたしが講座開始直後からKさんと同じ目標を立てていた人がいます。
いつも「強者」と形容する A さんです。Aさんは学校時代に英語の勉強はしなかった
そうです。豪快な、非常にさっぱりした性格ですが、英語にだけは几帳面で、
「正しく、きっちり」という姿勢を持ち込んでいました。そして今回、Aさんもどうやら
「分からなければいけない、正しくなければいけない」を抜け出しそうな気配が
あります。

Aさんの場合はアメリカのテレビドラマ、 House M.D. です。
日本では「ドクター・ハウス」かな?

*どうせ医学用語は分からないので、最初からあきらめることができた。

何が幸いするかわからないものです。Aさんの場合はかなり英語ができる
人なので、劇薬が必要だった。それはシャドーイングではなくて、
物語としておもしろい、登場人物の個性が際立つドラマだったのでしょうね。

Aさんは、たぶんこのまま字幕なし多観を続ければ「分からない」状態を
許容できるようになるのではないかと、期待と不安まぜこぜで次回を楽しみに
しています。字幕なし多観で分からないことに慣れたら、それを聞くことや
読むことにも持ち込んでいきたいものです。

最後に、Kさんの book talk もよかった!
Mr. Putter and Tabby を原文から借りつつうまく短くして、
自分のことばも使って、とてもよい book talk になっていました。
それで考えたのはやはり 一口大 のこと。

今回のKさんの場合は、本の長さがかみ砕くのにちょうどよい長さだった、
借りる文章の長さがちょうどよかった、本の長さはまとめきるのにもちょうど
長さだった、という気がします。でもそれ以上は今回は省きます。
これは字幕なし多観と並ぶ大事な発見なので、これからも何度も
話題にすると思うので・・・

Yさんの聞き読みシャドーイング、KさんとAさんの字幕なし多観
・・・どれも目が離せませんよ! 来週もお楽しみ!

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